tennis365.net テニス365ブログ 新着記事を読む ]    [ テニス365 ホームショッピングニュースログイン ]

格闘技の王子様 実はかの有名な格闘技の王子様は├─≠ョ─ヵラスであった

<<  2011年 1月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
カテゴリ別アーカイブ
  • 日記(0)
最近のコメント
Extermely …
air jordan shoes 06/26 23:45
最近、レフェリーをし…
たざわ 01/09 12:52
北沢さんの動向につい…
読者M 01/08 19:23
最近の記事
├─≠ョ─ヵラスとマ…
01/12 21:35
├─≠ョ─ヵラスとホ…
01/12 21:33
├─≠ョ─ヵラスと岡…
01/11 21:09
├─≠ョ─ヵラスと奥…
01/11 21:07
├─≠ョ─ヵラスと細…
01/11 21:06
このブログサービスは「テニス365 テニスブログ」で運営しています。テニス365会員なら無料でご利用・作成いただけます。







ヴォルク・ハン

ヴォルク・ハン(Volk Han、1961年4月16日 - )は、ロシア・ダゲスタン共和国出身の軍人、総合格闘家。ロシアのトゥーラ在住。ヴォルク・ハンはリングネームで、ヴォルクはロシア語で狼の意。本名はマゴメトハン・ガムザトハノフ(Магомет-хан Гамзатханов)。「ロシアの狼」「千のサブミッションを持つ男」「魔術師」などの異名で呼ばれた。
目次 [非表示]
1 来歴
2 ヴォルク・ハン格闘術
3 得意技
4 エピソード
5 戦績
6 関連項目
7 外部リンク
来歴 [編集]

ソビエト連邦陸軍に入隊後、同軍の空挺部隊(現ロシア空挺軍)に所属。特殊部隊のコマンドサンボ教官を務める。サンビストとしてはソ連サンボ・チャンピオンとなり通算5回の優勝、またサンボの世界選手権でも2回の優勝という実績を持つ。
リングス旗揚げから間もなく前田日明にスカウトされ、1991年12月7日に行われたリングス第4回大会の前田戦で日本デビュー。自身のバックボーンであるコマンドサンボの流れを汲む卓越したサブミッション技術で、一躍人気選手となる。特に全盛期の独特の間合いから一瞬で技に引き込むスピード、技の精度の高さは稀代のテクニシャンとしての名を不動のものにした。ハンのファイトスタイルと洗練された技術は、現在の格闘技界でも度々比較対象に挙がるなど、後発のグラップラーに与えた影響は少なくない。
また、リングネームから連想された「ロシアの狼」の他、独特の容貌と「まるで手品の様」と評されたサブミッションから「魔術師」の異名をとった。しかし手品そのものも得意であり、「笑っていいとも!」にプロモーションで出演した際には自ら手品を披露している。その他リング外では記者にジョークを言い笑いを誘うなど、試合中の冷徹にも見えるイメージとは異なる一面を見せている。
リングスにおける戦績として代表的なものは、1995年に決勝で前田日明を下したメガバトルトーナメント優勝がある。その後1997年にも決勝で田村潔司と対戦、勝利し優勝を果たした。なお、2001年に行われた第2回KOKトーナメントにおいて、同大会で優勝したアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが判定にもつれ込んだ対戦者はハンのみである。
ロシアで開催されたリングスの大会の打ち上げで、前田に多大なる感謝の念を示したとされ、「私は前田の兵隊だ、彼から行けといわれたら私はどこへでも行く」という言葉を残している。このことから、前田日明がHERO'Sのスーパーバイザーに就任した際、セルゲイ・ハリトーノフなどのロシアン・トップチーム勢がPRIDEのリングを去りHERO'Sに移籍するのではないかと噂されたこともある。事実、2007年9月17日に行われたHERO'Sのミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦のスーパーファイトにハリトーノフが参戦した際には、ハンのチーム(CLUB VOLK HAN)からの出場となっており、ハン自身も来日した。
格闘技以外では、母国での国会議員選挙に立候補するも落選。その後ビジネスにかかわる醜聞等でロシアのマスコミをにぎわせた。
また、リングスのファイトマネーで祖国ダゲスタン共和国にモスクを建設している。
2002年2月以降競技から離れていたが、2004年11月20日のリトアニア・ブシドー協会(リングス・リトアニア)の大会にてまさかの復帰を果たすも、それが引退試合となった。現在は故郷であるダゲスタン共和国の都市、トゥーラで格闘技道場を設立し後進の指導にあたっている。
ヴォルク・ハン格闘術 [編集]

ヴォルク・ハン格闘術とは、自らが培った技術・経験から考案されたハンオリジナルの格闘術。コマンドサンボをベースに、ボクシング、ムエタイ、レスリング、柔道などの技術を取り入れ、より総合格闘技の攻防に特化したスタイルとされる。一般的にセルゲイ・ハリトーノフや、かつての弟子であったエメリヤーエンコ・ヒョードルは、コマンドサンボをそのままバーリトゥードに転用していると思われがちだが、実際にはヴォルク・ハン格闘術から学んだノウハウに基づきコマンドサンボの技術を応用している。また、ヴォルク・ハン格闘術はサンボ着を脱いだ状態、裸体での徒手格闘を想定して構成されている点も特徴である。
同様に多彩な関節技を組み込んだファイトスタイルには、グレイシー柔術をはじめとするブラジリアン柔術がある。しかし、ハンはそれら一派の技術を「私自身が学び、知っている柔道と大きく違うものではない」と評した。これはソビエト連邦時代に伝わった柔道の技術が、その原型である古流柔術の特徴を色濃く受け継いだものであることが大きく影響していると思われる。
得意技 [編集]

「千のサブミッションを持つ男」の異名通り、ハンの繰り出す技は非常に複雑なものが多く、その種類も多いためとてもここで全て列挙することはできない。よってここでは比較的有名な技に絞って紹介する。
クロス・ヒールホールド
アキレス腱固めの体勢から相手の両脚を交差するように固め、肘で絞り上げることによって両脚の関節(具体的には交差させる際に上になる脚はアキレス腱、下になる脚は膝)を極める。技に入るプロセスは仰向け寝の相手に仕掛ける他、飛び付き式やビクトル投げからのスイッチなど多岐多様に存在する。
ヴォルク・ハンの代名詞ともいえる複合関節技。来日初戦で前田日明をこの技でギブアップ寸前まで追い込んだシーンは、コマンドサンボの奥深さを知らしめた。
首極め腕卍
相手の両腕をロックした状態で首を締め上げる変形のフロントスリーパー。
ビクトル式膝十字固め
河津掛けに似た体勢から相手の首・肩などを巻き込みつつ前転し、膝十字固めに捕らえる。現在はプロレスでも使用する選手が増えているが、元々はサンボを源流とする技である。
飛び付き式腕ひしぎ十字固め
相手の腕と首に手をかけた状態から、巻き付くように飛び付き腕ひしぎ十字固めを極める。さらにハンの場合、カニバサミから移行するなど様々なバリエーションを持つ。
スタンディング・アームロック
立った状態で極める脇固め。ハンはこの技を極めるスピードが非常に速く、「どの体勢からでも(関節技を)極める」といわれた由縁でもある。さらにハンはこの体勢から腕を極めつつ後方にスープレックスで反り投げるという、非常に危険な隠し技を持っていた。
足取り腕ひしぎ十字固め
足を同時に挟み込んでの腕ひしぎ十字固め。
首極め膝十字固め
相手の頭を股に挟み込み、そのまま相手を前屈で折りたたむように膝十字固めを極める。
フィッシュ・ストレッチ・スリーパー(足絡み裸絞め)
うつ伏せになっている相手の膝を自らの両脚でロックし、同時に相手の首をスリーパーホールドで絞め上げつつ反転する。プロレス技として有名なSTFに似るが、全く違う技である。自らもハンと対戦した経験を持つ前田日明は「局部的に極める技ではなく、相手の体の自由(スタミナ)を奪う技」と解説している。なおこの技の初公開時は「足絡みフェイスロック」という名でコールされた。
裏拳(バックハンド・ブロー)
自ら回転しつつ、手の甲の部分を相手の顔面や胸板に打ち付ける打撃技。ハンといえば関節技というイメージが強いが、時折隠し技として使用していた。ちなみにハンの使用する裏拳はステップインしながら放つ独特のモーションが特徴である。
エピソード [編集]

ハンは来日当初から特別筋肉質の体つきではなく、格闘家として体格が良いタイプではないとされることが多い。しかし、自らスカウトし来日初戦の相手も務めた前田日明は「実際に近くで見るとデカいですよ。特に手が大きくて驚いた」とインタビューの一節で語っている。
前田が旧ソ連で行われたサンボの大会を視察に出向いた際、見たことも無い関節技を次々と決める選手がいた。それが後のヴォルク・ハン本人である。しかし実際は事前に前田が会場に来ることを耳にしていたハンが、とにかく目立って声をかけてもらおうと普段は使わない大技を見せてのアピールだった。
風貌やリング上での振る舞いから冷徹なイメージがあるが、ファンに対しては非常に優しく丁寧に接することで有名。
2001年のKOKトーナメントでアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦した際、ハンは完全に極まったかのようにも見えた膝十字固めから脱出し喝采を浴びた。これについてノゲイラは試合後「完璧に極まっていた。あの状態でギブアップしないなんて考えられない」とコメント。一方ハンは「全然効いていなかった。彼は気付いていなかったようだけど、私はちゃんと防御していたからね」と語っており、後のインタビューにおいて記者に実際に膝十字固めの防御法を説明した。
なお、上記のトーナメントの後日催されたパーティーで、ノゲイラは色紙を持参しハンからサインを貰っている。
上記の対戦に於いて判定負けを喫したハンは、当時25歳だったノゲイラの実力を絶賛した。その際、「ブラジルの若き虎よ。近い将来、君の時代が必ず来るだろう」との言葉を残したが、「しかし覚えておけ。いつか狼の末裔が君を必ず倒す」とも付け加えている。ハンの予言通りノゲイラはトップ選手として大活躍し、PRIDEヘビー級王者の座へと上り詰めた。しかしその後ノゲイラは、ハンの弟子であるエメリヤーエンコ・ヒョードルに敗北し王座から転落。ハンの予言は見事現実のものとなった。
格闘技番組『リングの魂』で「リングスのイメージガールを決めよう」という企画が行われた。その際、司会者の南原清隆が練習後と思われるハンと接触。イメージガール候補の女性たちに挨拶させ「どうでしょうか?」と尋ねたところ、普段のハンからは想像もつかない満面の笑みで「オーチン・ハラショー(とても素晴らしいね)」と答えた。寡黙なイメージを売りにしているハンとしては、非常に貴重な映像である。
コマンドサンボを世に広く知らしめた実績と、独特の風貌から多くの架空のサンビストのモデルになっている。代表例としては漫画『高校鉄拳伝タフ』の鬼川平蔵、ゲーム『バトルクロード』のウルフ教官など。
戦績 [編集]

総合格闘技 戦績
54 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
40 勝 0 39 1 0 0 0
14 敗 4 8 2 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
○ アンドレイ・コピィロフ 6:15 腕ひしぎ十字固め リングス WORLD TITLE SERIES Grand Final 2002年2月15日
○ アンドレイ・コピィロフ 延長R終了 判定 リングス・ロシア RUSSIA vs BULGARIA 2001年4月6日
× アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ 5分2R終了 判定0-3 RINGS KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL
【準々決勝】 2001年2月24日
○ ブランドン・リー・ヒンクル 1R 8:11 腕ひしぎ十字固め リングス MILLENNIUM COMBINE II 2000年6月15日
× グロム・ザザ 30分終了 ポイント判定 リングス RISE 4th 1999年6月24日
○ 成瀬昌由 1R 7:46 腕ひしぎ十字固め リングス RISE 3rd 1999年5月22日
○ ニコライ・ズーエフ 6:49 足絡みフェイスロック リングス 前田日明 引退試合 The Final 1999年2月21日
○ 金原弘光 13:22 アキレス腱固め リングス WORLD MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1998
第1回国別対抗戦FNRカップ GRAND-FINAL 1999年1月23日
○ 山本喧一 8:24 逆片エビ固め リングス CAPTURED AKIRA MAEDA LAST MATCH 1998年7月20日
○ 田村潔司 10:32 リバースアームロック リングス MAELSTROM 7th 1996年9月25日
○ ハンス・ナイマン 4:39 膝十字固め リングス MAELSTROM 3rd RUSSIAN BATTLE MISSION 1996年5月25日
× ニコライ・ズーエフ 13:06 脇固め リングス MAELSTROM 2nd 1996年4月26日
○ ディック・フライ 6:36 腕ひしぎ逆十字固め リングス MAELSTROM 1st 1996年3月25日
× ハンス・ナイマン 6:49 TKO リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT1995 GRAND FINAL 1996年1月24日
× 山本宜久 10:17 腕ひしぎ逆十字固め リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT1995 SEMI FINAL 1995年12月19日
○ アンドレイ・コピィロフ 12:37 膝十字固め リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT1995 2nd.Round 1995年11月16日
○ ピーター・ウラ 4:14 腕ひしぎ逆十字固め リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT1995 1st.Round 1995年10月21日
× 前田日明 9:41 腕ひしぎ逆十字固め リングス RISING SERIES NAGATSUKI 1995年9月22日
× ビターゼ・タリエル 8:26 KO リングス RISING SERIES HAZUKI 1995年8月27日
○ トニー・ホーム 6:36 アキレス腱固め リングス RISING SERIES FUMIZUKI 1995年7月18日
○ 山本宜久 15:15 腕ひしぎ逆十字固め リングス RISING SERIES MINAZUKI ジャパンVSロシア 5対5対抗戦 1995年6月17日
○ 成瀬昌由 12:11 変形フェイスロック リングス RISING SERIES UZUKI クリス・ドールマン スペシャル 1995年4月28日
○ ニコライ・ズーエフ 13:37 足絡み腕ひしぎ逆十字固め リングス RISING SERIES YAYOI 1995年3月18日
○ 前田日明 14:19 膝固め リングス FIGHTING NETWORK RINGS1994 TOURNAMENT GRAND FINAL 1995年1月25日
○ 長井満也 15:15 フルネルソン リングス BATTLE SHOT at NIIGATA Vol2 1994年12月24日
○ ハンス・ナイマン 6:21 アキレス腱固め リングス FIGHTING NETWORK RINGS1994 TOURNAMENT SEMI FINAL 1994年12月16日
○ ウィリー・ウィリアムス 3:14 アキレス腱固め リングス FIGHTING NETWORK RINGS1994 TOURNAMENT 3rd Round 1994年11月19日
× アンドレイ・コピィロフ 10:05 アームロック リングス FIGHTING NETWORK RINGS1994 TOURNAMENT 2nd Round 1994年10月22日
○ ソテル・ゴチェフ 11:59 腕固め リングス FIGHTING NETWORK RINGS1994 RINGS IN RUSSIA 1994年8月27日
○ ガルダバ・ゲオルギ 11:35 リバースフルネルソン リングス FIGHTING NETWORK RINGS1994 RINGS IN YOKOHAMA 1994年8月20日
○ ハンス・ナイマン 6:50 腕ひしぎ逆十字固め リングス FIGHTING NETWORK RINGS1994 RINGS IN OSAKA 1994年7月14日
× 前田日明 18:06 レッグロック リングス FIGHTING NETWORK RINGS1994 RINGS IN ARIAKE 1994年6月18日
○ 長井満也 9:03 裸絞め リングス FIGHTING NETWORK RINGS1994 RINGS IN SENDAI 1994年5月17日
○ ビターゼ・タリエル 8:27 アキレス腱固め リングス FIGHTING NETWORK RINGS1994 RINGS IN HIROSHIMA 1994年4月23日
○ ゲオルギー・カンダラッキー 3R 1:08 フロントネックロック リングス FIGHTING NETWORK RINGS1994 RINGS IN YOKOHAMA 1994年3月19日
○ 山本宜久 10:52 アームロック リングス BATTLE DIMENSION TOURNAMENT'93 Grand Final 1994年1月21日
○ オルロフ・パベル 12:03 腕ひしぎ逆十字固め リングス BATTLE DIMENSION TOURNAMENT'93 Semi Final 1993年12月8日
× ニコライ・ズーエフ 11:31 アームロック リングス BATTLE DIMENSION TOURNAMENT'93 2nd. Round 1993年11月18日
○ 成瀬昌由 8:08 腕ひしぎ逆十字固め リングス BATTLE DIMENSION TOURNAMENT'93 1st. Round 1993年10月23日
○ クリス・ドールマン 6:20 裏十字固め リングス BATTLE DIMENSION'93 格闘新次元 TOKYO BAY AREA CIRCUIT #3
前田日明デビュー15周年記念大会 1993年8月21日
× ディック・フライ 9:09 TKO リングス BATTLE DIMENSION'93 格闘新次元 OSAKA METROPOLITAN CIRCUIT #2 1993年7月13日
○ ウィリー・ウィリアムス 11:46 アキレス腱固め リングス BATTLE DIMENSION'93 格闘新次元 TOKYO BAY AREA CIRCUIT #2 1993年5月29日
○ 長井満也 16:05 アームロック リングス BATTLE DIMENSION'93 格闘新次元 TOKYO BAY AREA CIRCUIT #1 1993年4月24日
○ アンドレイ・コピィロフ 8:30 アキレス腱固め リングス BATTLE DIMENSION'93 格闘新次元 OSAKA METROPOLITAN CIRCUIT #1 1993年3月5日
○ アンドレ・トゥルマニーゼ 12:38 レッグロック リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT '92 Grand Final 1993年1月23日
○ ソテル・ゴチェフ 14:25 変形腕固め リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT '92 Semi Final Best4 1992年12月19日
× 前田日明 23:27 TKO リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT '92 1st round【1回戦】 1992年10月29日
○ ディック・フライ 10:35 レッグロック リングス MEGA BATTLE SPECIAL「礎ISHIZUE」 1992年8月21日
× アンドレイ・コピィロフ 17:05 レッグロック リングス MEGA-BATTLE 6th「颯HAYATE」 1992年7月16日
○ ヘルマン・レンティング 9:18 ヒールホールド リングス MEGA-BATTLE 5th「獅子吼SHI SHI KU」 1992年6月25日
○ グロム・ザザ 5:16 膝固め リングス MEGA-BATTLE 4th「光臨KOHRIN」 1992年5月16日
○ 前田日明 17:28 膝固め リングス MEGA-BATTLE 3rd「雷IKAZUCHI」 1992年4月3日
○ ゲナジー・ギガント 12:37 アームロック リングス MEGA-BATTLE 2nd「息・吹IBUKI」 1992年3月5日
× 前田日明 12:14 足固め リングス ASTRAL STEP FINAL「BLAZE UP炎上」 1991年12月7日
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
投稿者 格闘技の王子様 22:53 | コメント(0) | トラックバック(0)

ヴィトー・ログラッソ

ヴィトー・ログラッソ(Vito LoGrasso、1969年6月18日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ニューヨーク州ニューヨークシティ・ブルックリン出身。
ヴィトー(Vito)またはビッグ・ヴィトー(Big Vito)などのリングネームで知られ、WCWやWWEで活動した。イタリア系アメリカ人であり、自身のギミックでもそれを強くアピールしている。
目次 [非表示]
1 来歴
2 リングネーム
3 得意技
4 獲得タイトル
5 外部リンク
来歴 [編集]

ジョニー・ロッズ・レスリングクラブで2年間学んだ後、1990年、NCWでデビュー。当初はスカル・フォン・クラッシュ(Skull Von Krush)なるネオナチ・ギミックのキャラクターで、1992年10月にNOWに初来日。1998年1月には全日本プロレスにも来日している。その後はインディー団体やECWを経て1999年よりWCWに所属。WCWではジョニー・ザ・ブルと共にイタリア系であることを前面に押し出したユニット、ママルークス(The Mamalukes)を結成していた。
2004年にはTNAに参戦し、2005年にWWEと契約。契約後は下部団体のOVWを経て、同年6月よりダークマッチに登場。8月からスマックダウン所属となり、ナンジオとチームを結成する。両者ともイタリア系であることから、F.B.I.(フル・ブラッデッド・イタリアンズ)の再結成とも位置づけられた。
2006年には、「ヴィトーは実はオカマなのでは」というストーリーが展開されるようになる。パートナーのナンジオは否定していたが、ヴィトーは事実であることをカミングアウトし、ナンジオとタッグを解消。ワンピース(番組中ではドレスと表記)の出で立ちで試合をするようになり、清算マッチでナンジオを撃沈した。2007年5月にWWEを解雇される。
2010年3月にプロレス・エキスポのネパール大会に参戦。同じくジョニー・ロッズの弟子であるヒマラヤン・タイガーと一騎打ちを行うが、凶器攻撃により観衆がエキサイトし暴動が発生。決着戦を1週間後に行うも敗れた。
リングネーム [編集]

ログラッソが用いたリングネーム
The Skull
Skull Von Krush
Vito "The Skull" Lograsso
Big Vito
Vito
Big Vito "The Skull"
得意技 [編集]

コード・オブ・サイレンス(バタフライDDT)
サドン・インパクト
マフィア・キック
また、技ではないが相手の顔をスカートにうずめるという行動も取る。
獲得タイトル [編集]

WCW
WCWハードコア王座 : 1回
WCW世界タッグ王座 : 2回(w / ジョニー・ザ・ブル)
OVW
OVW南部タッグ王座 : 1回(w / グイドー)
投稿者 格闘技の王子様 22:52 | コメント(0) | トラックバック(0)

ネルソン・フレイジャー・ジュニア

ネルソン・フレイジャー・ジュニア(Nelson Frazier, Jr. 、1972年2月14日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テネシー州メンフィス出身のアフリカ系アメリカ人。WWEではメイブル(Mabel)、ヴィセラ(Viscera)、ビッグ・ダディV(Big Daddy V)のリングネームで活躍した。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 入場曲
5 逸話
6 脚注
7 外部リンク
来歴 [編集]

1991年、ジェリー・ジャレットとジェリー・ローラーが主宰していた地元メンフィスのUSWAでデビュー。ロバート・ホーンとの黒人タッグチーム、ハーレム・ナイツ(Harlem Knights)で活躍後、1993年よりホーンと共にWWF(現・WWE)と契約。ホーンはモー、自身はメイブルと名乗り、ラップ担当のオスカーをマネージャーに加えたヒップホップ系ユニット、メン・オン・ナ・ミッション(Men on a Mission / 略称はメイブル、オスカー、モーの3人のイニシャルでもあるMOM)を結成[1]。リング上でラップを踊るベビーフェイス軍団として子供たちの人気を集め、1994年3月29日にはジャックとピエールのケベッカーズを破りWWE世界タッグ王座を獲得した[2]。
1995年にモーと共にヒールに転向し、6月25日のキング・オブ・ザ・リング優勝を機にキング・メイブルと改名。8月27日のサマースラムではディーゼルのWWF世界ヘビー級王座に挑戦するなどトップ・ヒールとして活躍した[3]。
1996年のWWF離脱後はプエルトリコのWWCやMCWなどで活動。WWCではカルロス・コロンを下しユニバーサル・ヘビー級王者となるが、アブドーラ・ザ・ブッチャーに敗れて王座から陥落した[4]。
1999年にWWFと再契約し、ヴィセラのリングネームでジ・アンダーテイカー率いる暗黒軍団ミニストリー・オブ・ダークネスのメンバーとなる。2000年4月2日にはタズからハードコア王座を奪取するも、リキシ戦での怪我で同月に解雇され、その後はTNAなどを転戦した。
2004年よりWWEに復帰し、同時期に再契約を交わしたギャングレルと共に、9月16日のスマックダウンに登場。当時のWWE王者JBLを攻撃するミニストリー時代の主君、アンダーテイカーを急襲した。しかしこのアングルは長続きせず、ヴィセラはロウに移籍した後ベビーフェイスに転向し、しばらくはミッドカードを中心に戦う。その後、ナイトガウンとパジャマに身を包み、女性を惹きつける「ラブマシーン」ギミックのキャラクターに変身。リング・アナウンサーのリリアン・ガルシアとの恋愛ストーリーが組まれる。最初は嫌がっていたリリアンも、最終的にはリング上でキスを交わすほどの仲にまで発展。しかし、ザ・ゴッドファーザーが連れてきたHoにヴィセラが惚れてしまい、恋愛ストーリーは終結を迎えた。
2006年には、バル・ビーナスとタッグを組み、入場テーマもその容姿とはミスマッチな曲に変更。たまたまチャーリー・ハースが、入場シーンでリリアン・ガルシアにぶつかり怪我を負わせてしまったことにより(この事故自体は偶然の産物である)、過去の恋愛関係を引きずっていたヴィセラが抗争相手に抜擢されたが、2人そろってリリアンに振られる形で抗争を終える。


ビッグ・ダディV
2007年にECWへ移籍し、ヒールターンしてビッグ・ダディVのリングネームで活動。かつてのワンマン・ギャングやバンバン・ビガロなど、肥満体の重量級選手は見栄えの悪いボディを隠すためにTシャツなどのコスチュームを身に纏ったまま試合をする場合が多く、メイブルやヴィセラも同様だったが、ビッグ・ダディVはその肥大化した上半身を曝け出し、超巨漢ヒールの迫力を醸成。同年12月16日のアルマゲドンではスマックダウン所属のマーク・ヘンリーと「0.5tタッグ」を組み、CMパンク&ケインを撃破、圧倒的な存在感を見せつけた。
2008年2月17日のノー・ウェイ・アウトでは、レッスルマニアでの世界ヘビー級王座挑戦権をかけたエリミネーション・チェンバー・マッチに出場するなど活躍をするものの、ウェイトダウンのための欠場後、復帰をしないまま同年8月にWWEを解雇された。その後はキングV(King V)をリングネームにインディー団体のNWAに参戦、リトル・グイドーやボールズ・マホーニーとユニットを結成した。
2010年、全日本プロレスに来日し、ビッグ・ダディ・ブードゥーの名でVOODOO-MURDERSに加入。TARUとのタッグで曙&浜亮太からアジアタッグ王座を奪取した。
得意技 [編集]

ビッグ・スプラッシュ
ゲットー・ドロップ
ランニング・エルボー・ドロップ
ヴィセラドライバー / SEXドライバー
シットダウン式ネック・ハンギング・ボム。いわゆるボルドー・ボム。
ヴィスアグラ
ラブマシーン・ギミック時代に使用。性行為を連想させるいやらしいモーションと共にうつ伏せの相手に覆いかぶさる。相手にとって凄まじく屈辱的な技。名前はヴィセラのニックネーム「ビッグ・ヴィス」とバイアグラから。
スピニング・ヒールキック
ミニストリー加入時代に多用していた。巨体が故に圧巻の破壊力がある。同じく巨漢であるウマガなどもこれを使用する。
獲得タイトル [編集]

WWE
キング・オブ・ザ・リング : 1995年覇者
WWF世界タッグ王座 : 1回(w / モー)
WWFハードコア王座 : 1回
その他
USWAヘビー級王座 : 1回
XWFヘビー級王座 : 1回
WWCユニバーサル・ヘビー級王座 : 1回
PWFタッグ王座 : 2回(w / ボビー・ナイト)
etc.
入場曲 [編集]

World's Largest Love Machine(ヴィセラ時代に使用)
逸話 [編集]

ラブマシーンギミック時にWWEから発売されたTシャツには、"XXXL Lover"(恋する巨漢)、"Size matters!"(デカさは重要!)と書かれていた。
投稿者 格闘技の王子様 22:52 | コメント(0) | トラックバック(0)

都宮ちい

都宮ちい(とみや ちい、1991年4月25日 - )は、日本の女子プロレスラー。アイスリボン所属。
身長142cm、体重45kg、血液型O型。栃木県宇都宮市出身。
身長142cmは、業界最小。
目次 [非表示]
1 経歴・戦歴
2 タイトル歴
3 人物
4 得意技
5 入場テーマ曲
6 映画
経歴・戦歴 [編集]

2008年
9月11日、上京。さくらえみの家に転がりこむ。アイスリボンを選んだ理由は、「実話ナックルズ」に掲載された、真琴のインタビューを見て知った初めてのプロレス団体。
10月18日、新木場1stRING大会、対植田ゆう希戦でデビュー。
2009年
1月18日、対田村欣子&植田ゆう希、戦で初勝利(パートナーは、牧場みのり)。なお、この試合は、植田ゆう希にとってのラストマッチであった。
3月22日、タニー・マウスを奇襲し、アイアンマンヘビーメタル級王座を奪取。第774代王者となり、自身初タイトルを獲得。
10月23日、さくらえみの持つICE×60王座に初挑戦。善戦するもおよばず。試合後に、「もっと練習して強くなる」と号泣。
11月14日、りほとタッグチーム「ミニチュアダックス」を結成。
2010年
1月4日、試合前にエキシビジョンとして、冬期合宿に参加した二人の小学生の対戦相手を務める。
1月13日、対さくらえみ。試合中にコーナーポストに上った対戦相手を肩車し、対角線コーナーまで運ぶ。本人に言わせれば、「大いなる成長」「さくらさんを背負ってアイスリボンを盛り上げる」。
1月23日、りほと松本都の抗争に巻き込まれ、団体初のハードコアマッチを行う(ハードコアリボン、vs高橋奈苗&松本都)。
5月3日、アイスリボン後楽園大会(ゴールデンリボン)において、市来貴代子(フリー)・星ハム子組と対戦(パートナーは高梨マサ子)。市来の壮絶な顔面蹴りに対し、真っ向から反撃するも、最後は市来のニードロップに敗れる。
7月19日、板橋グリーンホール大会、コマンド・ボリショイと組み、葛西純&松本都の持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦したが、敗戦し、王座獲得に失敗。
この試合の前哨戦では、特殊ルールながら葛西からピンフォールを奪っている。
8月7日、板橋大会、パートナーを木高イサミに変更しタッグ王座に再挑戦し勝利。第11代王座となる。
9月23日、後楽園ホール大会、GENTARO・市井舞組とタッグ王座防衛戦を戦うが敗戦し、防衛に失敗。
10月30日、アイスリボン道場マッチにてコマンド・ボリショイの持つICE×60王座に挑戦するも敗退。
タイトル歴 [編集]

アイアンマンヘビーメタル級王座(第774代)
インターナショナル・リボンタッグ王座(第11代・パートナーは木高イサミ)
人物 [編集]

憧れの選手は、倉垣翼、タニー・マウス、田村欣子、コマンド・ボリショイら多数おり、かまってくれるレスラーは、全て憧れるようだ。
リングネームの由来は、宇都宮から来た小さい子。
真琴と同様、アキバ系文化に精通し、コスプレ(「To Heart」など)・コミケ通い・東方Projectやウサビッチの関連グッズ集めが趣味。イラストも得意とし、テレ玉「レッスルアリーナ」でのオープニングのイラストも担当。更にはみなみ飛香が「チルノのパーフェクトさんすう教室」のダンス(踊ってみた)にハマり出したのをいい事に、飛香・市井舞らを巻き込み、「踊ってみた部」なるサークルまで作ってしまっている(部長は飛香で、都宮は副部長)。
JWPやNEOの首都圏大会でのアイスリボングッズ販売も担当しており、試合に出ていなくてもほぼ必ず出没する(仮にJWPと大日本が被った場合でも、JWPに必ずいる(大日本首都圏大会では数人のアイスリボン選手がチラシ配りに出没する))。
別ブランド「19時女子プロレス」の放送で、さくらえみやGENTAROから「腹黒い」と指摘され、裏表の激しい毒舌キャラとなる。試合でも愛想笑いや泣き真似からの騙し撃ちなどが増え、2010年9月18日のアイスリボン道場マッチ(3WAY戦)では対戦相手の1人である葛西純を試合中に1万円で買収した(最後はその1万円をレフェリーの松永智充が横取りし、悪徳レフェリーと化している)。
得意技 [編集]

低空ドロップキック
ミサイルキック
ウラカンラナ
当初は、藤本つかさが使っていた技だったため、さくらえみから使用を禁じられている。それでも使い続け、藤本つかさが使わなくなったこともあり、フィニッシュホールドとして定着。2009年10月17日、その藤本つかさにこの技で勝利している。
カサドーラ
フットスタンプ
コーナーからのダイビング式も使用するが、ダウンした相手にロープワークを利用して連続した攻撃をすることが多い。
相手の耳元で絶叫
コーナー等の至近距離での攻防で使用する。鼓膜は鍛えられない為、ある意味「凶器」とも呼べる。ハードコアリボンでは凶器として持ち込んだ拡声器を使用した。
下腹部殴打
ダウンした相手の下腹部へのパンチ連打。特に男子選手に対して多用する。
腕ひしぎ十字固め
ちいちきん(変形グランド卍固め)
四つんばいの相手の右腕を自分の股の間をとおしてから左足でロックしたまま前転して、相手の首を右足で固め、さらに相手の左腕をアームロックで絞る。
脇固め
キドクラッチ
相手選手が脇固めから逃れようと、前転した所を丸め込む。
ジャングルクラッチ
CHANGOとの練習中に学んだ技だが、初公開時にはあくまでオリジナルの「ちいちゃんクラッチだぉ」と主張。その後、パートナーの木高 イサミが改めてジャングルクラッチと命名した。
金銭買収行為
入場テーマ曲 [編集]

「チキチキバンバン」
「もってけ!セーラーふく」アニメ「らき☆すた」オープニング。真琴とのアキバ系コンビで登場するとき限定。
映画 [編集]

平成トンパチ野郎男はツラだよ(2009年)(マジカル/グラッソ)
投稿者 格闘技の王子様 00:24 | コメント(0) | トラックバック(0)

聖菜

聖菜(せいな、1994年5月23日 - )は、日本の女子プロレスラー。
身長163cm、体重49kg、血液型B型。東京都品川区出身。アイスリボン所属。
実妹のりほもアイスリボンに所属している。
目次 [非表示]
1 所属
2 経歴・戦歴
3 得意技
4 タイトル歴
5 メディア出演
所属 [編集]

我闘姑娘(2006年 - 2007年)
アイスリボン(2007年3月1日 - )
経歴・戦歴 [編集]

2006年
6月4日、我闘姑娘、東京・新木場1stRING大会、対ひかり(みなみ飛香)戦でデビュー。この試合では、アイアンマンヘビーメタル級選手権試合となった。
9月24日、東京・新木場1stRINGにおいて、石井美紀と対戦。フェイスロックで敗れる。
2007年
3月1日、同日付でアイスリボンへ移籍。
2008年
11月15日、新木場1stRING大会並びに12月23日北沢タウンホール大会でのICE×60王座初代王者決定トーナメントに出場し優勝、自身初タイトルを獲得。その席で、初防衛戦の相手に市来貴代子を指名し、承諾された。
2009年
1月18日、北沢タウンホール大会、12月大会での指名受諾を受けてのICE×60選手権試合で初防衛に失敗。市来貴代子に王座を奪われた。
9月23日、板橋グリーンホール大会、高校受験の為、この大会をもって一時休業となる。
2010年
3月6日、高校受験合格と共に、復帰をアナウンス。但し現在も具体的な復帰スケジュールは未定のままである。
得意技 [編集]

フロント・ネックロック
スイングDDT(壁やリングロープを利用することもある)
ダイビングフットスタンプ(市来貴代子を意識して使用)
スープレックスはるか(改良型フィッシャーマンズ・スープレックス・ホールド 松尾永遠から名を取った)
タイトル歴 [編集]

ICE×60王座(2008年12月23日獲得)
メディア出演 [編集]

手紙バラエティ 三丁目のポスト(2007年10月22日(10月7日市ヶ谷大会) テレビ東京系列)
筋肉美女-Muscle Venus(2008年4月-6月、テレビ埼玉)
投稿者 格闘技の王子様 00:23 | コメント(0) | トラックバック(0)

しもうま和美

しもうま 和美 (しもうま かずみ、1977年10月29日 - )は、日本の元女子プロレスラー。東京都世田谷出身。身長156cm、体重64kg、血液型O型。
アイスリボンに所属していた。元インターナショナル・リボンタッグ王座選手権者。
目次 [非表示]
1 所属
2 経歴・戦歴
3 人物
4 得意技
5 タイトル歴
6 入場テーマ曲
7 外部リンク
所属 [編集]

アイスリボン(2007年 - 2010年)
経歴・戦歴 [編集]

2007年
11月23日 東京・市ヶ谷アイスボックスにおいて、対安藤あいか戦でデビュー。
2008年
結婚
2010年
2月20日 アイスリボン大阪ミナミムーヴオンアリーナ大会にて高橋奈苗をパートナーに迎え、インターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦し勝利。初タイトルを獲得。
7月19日 アイスリボン板橋グリーンホール大会にて高橋菜苗のもつトライアングルリボン王座に挑戦(もう一人は真琴)。真琴を変形4の字ジャックナイフで破り、王座獲得。
8月7日 アイスリボン板橋グリーンホール大会終了後、同年12月26日後楽園ホール大会をもって引退することを発表。
12月26日 引退試合としてパッション・レッドで6人タッグ。帯広さやかに見たこともない丸め込みで敗れ引退。
人物 [編集]

レスラーになるきっかけは、2007年、現在の夫に連れられ市ヶ谷で試合を見た事から。
普段は三軒茶屋の福祉施設で働いている為、試合や練習は土日祝日に限定されてしまう。その為、活動期間をあえて3年に限定していた事を、引退発表時に明かしている。
その一方、アイスリボンでは2008年以降、その福祉施設で年1回大会を開催しており、彼女はその大会のプロデューサーを務める。
また、団体のハロウィンパーティーなどのイベントでは、幹事を務める。明るく豪快なキャラで、団体のムードメーカー的存在の一人。
2010年に入り、水波綾(センダイガールズ)の持つJWP認定ジュニア王座&POP王座への挑戦を表明。アイスリボンのバレンタイン企画では、チョコレートを水波に渡し、挑戦をアピールしている。このアピールが実り同年4月17日板橋大会で同王座に挑戦しているが、敗れている。
得意技 [編集]

ハーフスラムバスター
相手を抱え上げ叩きつける技。
裏ハーフスラムバスター
相手を背中に抱え叩きつける技。
女の執念
走ってきた相手を背中で固め押さえ込む技。
エルボードロップ
二階からの和美
コーナー上で奇声を上げて気合を入れ、そのまま覆いかぶさるように放つダイビング・ボディプレス。
タイトル歴 [編集]

第9代インターナショナル・リボンタッグ王座(パートナーは高橋奈苗)
第4代トライアングルリボン王座
入場テーマ曲 [編集]

オリジナル曲
投稿者 格闘技の王子様 00:23 | コメント(0) | トラックバック(0)

志田光

志田 光(しだ ひかる、1988年6月11日 - )は、日本の女優、プロレスラー。神奈川県出身。プロレスラーとしてはアイスリボンに所属。
目次 [非表示]
1 経歴・戦歴
2 出演
2.1 テレビ
2.2 インターネット
2.3 映画
3 タイトル歴
4 得意技
5 入場曲
6 外部リンク
経歴・戦歴 [編集]

2008年、映画「スリーカウント」(監督:窪田将治)のオーディションに合格。
同映画出演のため、プロレスラーとしてデビューすることになり、プロレス団体アイスリボンの練習に参加し、さくらえみの指導を受ける。
同年8月23日の新木場1stRING大会、vs星ハム子戦でデビュー。
柔道(9年)と剣道(7年)の経験を生かし、映画では主役の座を獲得。プロレスでは、藤本つかさとのコンビで活躍。
2009年9月13日のJEWELS 5th RINGでグラップリングルールの試合に出場するも、浜崎朱加に1R38秒アームロックで一本負け。
2010年10月20日、アイスリボンイサミレッスル武闘館大会にて藤本つかさと組み、さくらえみ・高橋奈苗の持つインターナショナル・リボンタッグ王座に初挑戦。熱戦を展開するが敗退。
2010年11月13日、アイスリボンイサミレッスル武闘館大会にてりほと組み、さくら・高橋の持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦するも敗退。
2010年11月23日、アイスリボンイサミレッスル武闘館大会にて松本都と組み、さくら・高橋の持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦するも敗退。
2010年12月11日、アイスリボンイサミレッスル武闘館大会にて田村欣子と組み、さくら、高橋の持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦し、20分時間切れ引き分け。タイトル奪取は逃すも、規定により王者組からのベルト剥奪に成功する。
2010年12月23日、アイスリボンイサミレッスル武闘館大会にて藤本つかさと組み、みなみ飛香・つくし組、さくら・高橋組を下してインターナショナル・リボンタッグ王者決定トーナメントに優勝。第14代王者となる。
2010年12月26日、アイスリボン後楽園ホール大会にて田村欣子の持つNWA女子パシフィック王座&NEO認定シングル王座に挑戦。健闘するも敗退。
出演 [編集]

テレビ [編集]
マッスルビーナス(テレビ埼玉)
インターネット [編集]
それ行けテンポザン! (2008年6月15日-9月21日、あっ!とおどろく放送局)NNTG(3代目テンポザンガール)
映画 [編集]
スリーカウント(千葉まひる役)
ロボゲイシャ
平成トンパチ野郎男はツラだよ(2009年)(マジカル/グラッソ)
タイトル歴 [編集]

第14代インターナショナル・リボンタッグ王座(パートナーは藤本つかさ)
得意技 [編集]

ドロップキック
ニーリフト
スリーカウント(相手顔面へのランニングニー)
ココナッツフラッシュ(相手の膝に飛び乗ってのココナッツクラッシュ)
払い腰
腕ひしぎ十字固め
カナディアン・バックブリーカー
ブレーンバスター
ファルコンアロー
シダックスA(エース)(変形エビ固め)
シダックスQ(クイーン)(横回転式のシダックスA)
入場曲 [編集]

光、飛翔
Rock Show(ポール・マッカートニー&ウイングス)
投稿者 格闘技の王子様 00:22 | コメント(0) | トラックバック(0)

さくらえみ

さくら えみ(本名:元川 恵美(もとかわ えみ)、1976年10月4日 - )は、日本の女子プロレスラー。千葉県君津市出身。有限会社ネオプラス・アイスリボン事業部選手代表。
目次 [非表示]
1 所属
2 経歴・戦歴
3 人物
4 得意技
5 タイトル歴
6 入場テーマ曲
7 映画
8 脚注
9 外部リンク
所属 [編集]

IWAジャパン(1994年 - 1999年)
FMW(1999年 - 2002年)
フリーランス(2002年 - 2003年)
我闘姑娘(2003年 - 2006年)
アイスリボン(2006年11月4日 - )
経歴・戦歴 [編集]

1995年
8月17日、IWA・JAPAN富山県高岡テクノドームでの対市来貴代子戦でデビュー。当時の所属はIWA・JAPAN。好ファイトでカルトヒロインと呼ばれる。ただし、デビュー当時は、対戦相手はほとんど市来で、その上、二人に『女子プロレス』を教えるコーチが存在しなかったため、あまり巧い試合内容ではなかった。
1996年
6月4日に市来から初勝利を挙げる。その後市来の退団に伴い、後輩の門田幸子や西堀幸恵と対戦するようになる。
1997年
全日本女子プロレスの経営難に端を発した選手の大量離脱に伴う選手数不足により、西堀と共に助っ人としてIWA・JAPANに所属したまま全女の興行に帯同する。このことにより、試合数が大幅に増え、又それまで対戦したことのなかったトップクラスの選手達と対戦したり、タッグを組むことにより、試合運び等を学ぶ機会を得たことで、レベルアップするきっかけを掴む。
1999年
3月、IWA・JAPANを退団。
4月、フリーで活動。
6月、FMWに入団。入団当初は、減っていたとは言えまだ女子選手が数人所属していたため、普通に試合が組まれたが、徐々にFMWの経営が苦しくなるに伴い、女子選手の離脱が続き、末期には男子レスラーとのミックスドマッチや、『性転換レスラー』をギミックにした、工藤あづさ(現:gosaku)との試合が主になっていた。
2002年
FMW倒産。我闘姑娘を設立する。
プロレス活動のかたわら女子プロレス教室や子供向け体操教室『アクション体操』も行っている。また、入場時には自身が歌う『さくらえびちゅ』という歌に合わせて踊る。これのために体操教室の生徒の中からメンバーを選抜した『さくらえびきっず』を結成。このグループの中からりほ・聖菜らが選手としてデビューしている。
アクション体操 - さくらえみ考案の体操で、プロレスの動きや技、器械体操の要素を取り入れている。
2006年
1月29日、新木場1stRING(“息吹”第5回大会)において、椎名由香の代打で出場。夏樹☆ヘッドと組み闘獣牙Leon、バンビ組と対戦する。
6月20日、アイスリボン旗揚げ。
9月24日、東京・新木場1stRINGにおいて、きのこと対戦。勝利。同大会、石井美紀、希月あおいと組んで、零、高橋李佳、春日萌花組と対戦。希月のクロスアーム式原爆固めで零が敗れる。
11月4日、我闘姑娘からアイスリボン(代表)に移籍。
2007年
アイスリボンの興行と並行し、NEO女子プロレスの興行に参加。同団体の社長である甲田哲也との結婚騒動、田村欣子に強引にタッグパートナーにさせられてしまいNEO認定タッグに挑戦するなど、NEO女子プロレスの中心人物となった。
7月16日、東京・後楽園ホールにおいて、田村欣子と組み、元気美佐恵、松尾永遠組の保持するNEO認定タッグに挑戦。さくらえみがラ・マヒストラルで元気美佐恵から勝利。田村欣子、さくらえみ組が、第5代NEO認定タッグ王者になる。
2009年
1月、アイスリボンの新体制移行に伴い、団体代表を退任(後任は佐藤肇(ネオプラス代表取締役社長))。
5月3日、板橋グリーンホール・パッション・レッド興行で高橋奈苗のもつNEO統一二冠王座に挑戦。高橋が試合中に脳震盪を起こし戦闘不能になり、TKO勝ちを収め第21代王者になる。2日後、田村欣子に敗れ初防衛に失敗。
5月24日、新宿FACEにてIWA旗揚げ15周年記念大会に出場し、市来貴代子と13年ぶりのシングルマッチ。
7月5日、NEOミッドサマー・タッグトーナメント'09優勝(パートナーは高橋奈苗)。
7月19日、JWP後楽園大会、米山香織と組んで、JWP認定タッグ&デイリースポーツ女子タッグ王座に挑戦し勝利。JWPタッグ二冠を獲得した。
12月、東京スポーツ主催のプロレス大賞で「女子プロレス大賞」を受賞。女子プロレス大賞はここ数年「該当者無し」が続いており、実に6年ぶりの受賞者となった。
2010年
6月下旬、19時女子プロレスで行う高橋奈苗とのシングルマッチ(おんな巌流島2010)を、高橋のもつJWP認定無差別級王座に自身が挑戦するタイトルマッチとする意向を、高橋と共に主張。
6月30日、イサミレッスル武闘館にて高橋、コマンド・ボリショイらJWP3選手、マスコミらを交えた公開討論会「女子プロレス向上委員会・おんな巌流島2010編」を開催。結果、JWP側の以下の主張を受け入れ、ノンタイトルとなる[1]。[2]
無観客試合
ベルトのコミッショナーであるデイリースポーツの認可が得られていない
Ustreamではビジネスモデルが成立しておらず、現状ではタイトルマッチを行う環境として不適格
7月2日、JWP3選手立会いの下、19時女子プロレスにおいて高橋との「おんな巌流島2010」をノンタイトルマッチとして戦い、敗北。[3]
9月19日、JWP新宿FACE大会、米山香織のJWP認定無差別級王座に挑戦、自ら提案した敗者髪切りマッチに敗れ、丸坊主となる。
9月23日、アイスリボン後楽園、同じ年(1995年)にデビューして同じ年(2006年)に団体を旗揚げしたセンダイガールズプロレスリング代表・里村明衣子と初のシングルマッチを行い、敗戦。[4]
9月25日、アイスリボン、高橋奈苗と組んでインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦し勝利、13代目王者となる。
11月21日、NEO大阪府立体育会館第2競技場大会、田村欣子の持つNEO統一二冠王座に挑戦するも敗戦。
11月22日、SMASH・JCBホール大会、米山香織と組んで朱里・華名組と対戦するが、朱里のハイキックで敗戦[5]。
人物 [編集]

高校時代に女子プロレス団体への入門を志望し、LLPWのオーディションを受けるが落選[6]。GAEA JAPANの書類選考は通ったものの、先に合格していたIWA・JAPANに入門することになった[7][8]。
それほど体格や身体能力には恵まれていないが、時にコミカルなムーヴも交える技巧派レスラーであり、強豪選手との名勝負も多い。
プロデューサーとしての臨機応変な決断力・実行力・演出力に定評がある。また、マイクパフォーマンスなどでの話術にも優れる。
mixiでの繋がりを母体に団体を旗揚げしたり、ブログやツイッターで多くの情報を発信するなど、インターネットの活用に積極的である。19時女子プロレスの旗揚げと同時期に不定期Ustream番組「さくらえみの部屋」も開始しており、アイスリボン興行の宣伝に始まり業界批評、関係者への生電話、果ては雑談しながらの食事風景まで様々な内容を突発的に配信している。
趣味は映画鑑賞。また、作詞作曲も行っている。
小学校時代の同級生にお笑い芸人のまちゃまちゃがいる。
得意技 [編集]

各種チョップ
逆水平チョップ、モンゴリアンチョップ、ローリングフューチャー(回転してのダブルハンドチョップ)などを使用する。
さくらえび固め
さくらえみ斬り
主に背中への引っ掻き攻撃。
トラブル・クラッチ
ダブルアーム・バックブリーカー
ケブラドーラ・コン・ヒーロ
シュークリーム
ダブルアームからのバックブリーカーで持ち上げてからそのままの体勢で固める。見た目がモコモコしているのと、初めて出した相手の渋谷シュウのシュウをかけてシュークリームとした。
スマッシュマウス
ドラゴンスリーパーの体勢から相手の腕を取り、回転して顔面から叩きつける。
ラ・マヒストラル
ロメロ・スペシャル
タイガードライバー
アイスドライバー
シュークリームの体勢から固めずに相手をスピンさせながら横に落とす。氷上を走る車をイメージさせ、アイスドライバーの名がついた。
さくらえみ70kg
「さくらえみ70kg!」と叫びながらの串刺し式フライング・クロス・ボディ、またはボディ・プレス。時折、「さくらえみ40kg!」などと体重を偽ることがあり、その度に「ウソつき」呼ばわりされる等、ファンから顰蹙を買う。
リバース・スプラッシュ
ムーンサルトプレス
クリオネ
ヴァルキリースプラッシュと同型。
2階からのにゃんにゃんプレス
ファイアーバード・スプラッシュと同型。
タイトル歴 [編集]

第2代AWF世界女子王座
第26代全日本シングル王座(1998年1月30日 対中西百重戦で獲得。防衛3回)
第224代アイアンマンヘビーメタル級王座(1回防衛)
第231代アイアンマンヘビーメタル級王座
第5代NEO認定タッグ王座(パートナーは田村欣子)
第21代NWA女子パシフィック王座&NEO認定シングル王座
第32代JWP認定タッグ&第5代デイリースポーツ女子タッグ王座(パートナーは米山香織)
第6代インターナショナル・リボンタッグ王座(パートナーは米山香織)
第13代インターナショナル・リボンタッグ王座(パートナーは高橋奈苗)
第4代&第8代ICE×60王座
入場テーマ曲 [編集]

さくらえびちゅ
さくら Go Round
投稿者 格闘技の王子様 00:22 | コメント(0) | トラックバック(0)