2011年01月06日
クラッシャー・リソワスキー
クラッシャー・リソワスキー(Crusher Lisowski、1926年7月11日 - 2005年10月22日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ウィスコンシン州サウスミルウォーキー出身のポーランド系アメリカ人。本名はレジナルド・リソワスキー(Reginald Lisowski)。生年月日、出自、デビュー年に関しては不明な点が多く、出身地はペンシルベニア州ピッツバーグという説もある。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 関連項目
5 外部リンク
来歴 [編集]
若い頃は不良少年で、煉瓦積みの職人、ハイウェイ・パトロールの警察官などの職業を経た。1949年(1950年とも)、24歳でプロレス入り。レジー・リソワスキー(Reggie Lisowski)の名でリングに上がりスタンレー・リソワスキーとタッグで活躍した。
1963年2月15日、ネブラスカ州オマハでバーン・ガニアを破ってAWA世界ヘビー級王座(オハマ版)を奪取。
同年7月9日、ミネソタ州ミネアポリスでバーン・ガニアを破ってAWA世界ヘビー級王座(ミネアポリス版)を奪取。
1963年8月20日、同地でディック・ザ・ブルーザーと組んでAWA世界タッグ王座を奪取(以降、ブルーザーとのコンビで計4回、コンビを変え計4回の奪取に成功)。
1963年11月29日、ミネソタ州セントポールでバーン・ガニア再度AWA世界ヘビー級王座(オハマ版)を奪取。
1965年8月21日、同地でマッドドッグ・バションを破り統一されたAWA世界ヘビー級王座を奪取。
1967年12月、日本プロレスに初来日しジャイアント馬場のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦。
1969年8月11日、日本プロレス、札幌中島スポーツセンターでジャイアント馬場&アントニオ猪木(BI砲)を破りインターナショナル・タッグ王座を奪取。
1972年11月、国際プロレスに来日。11月27日にブルーザーと組んでストロング小林&グレート草津と日本初の金網デスマッチによるタッグ戦を行う。
1976年1月、全日本プロレスに最後の来日。
1984年5月6日、バロン・フォン・ラシクと組んでクラッシャー・ブラックウェル&ケン・パテラを破りAWA世界タッグ王座を奪取。これが最後の載冠となる。
1986年、WWFにスポット参戦。ジャイアント・マシーン、スーパー・マシーン、ビッグ・マシーンらのWWF版マシーン軍団の一員として、覆面レスラーのクラッシャー・マシーン(Crusher Machine)を名乗る。素顔でもハルク・ホーガンとタッグを組み、ビッグ・ジョン・スタッド&キングコング・バンディと対戦した。
1989年頃、WWFで引退。
2005年10月22日、ミルウォーキーの病院で脳腫瘍のため死去。
得意技 [編集]
パンチ攻撃
フルネルソン
獲得タイトル [編集]
AWAブラスナックル王座:1回
AWA世界ヘビー級王座(ミネアポリス版):2回
AWA世界ヘビー級王座(オマハ版):1回
AWA世界タッグ王座:9回(w / ディック・ザ・ブルーザー×5、バーン・ガニア、レッド・バスチェン、ビル・ロビンソン、バロン・フォン・ラシク)
NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / トミー・リッチ)
NWAカナディアン・オープンタッグ王座:1回(w / スタン・リソワスキー)
NWA世界タッグ王座(シカゴ版):3回(w / アート・ネルソン、スタン・リソワスキー×2)
NWA世界タッグ王座(ミネアポリス版):2回(w / スタン・リソワスキー)
WWA世界タッグ王座:6回(w / ディック・ザ・ブルーザー)
インターナショナル・タッグ王座:1回(w / ディック・ザ・ブルーザー)
ブリティッシュ・オープンタッグ王座:1回(w / スタン・リソワスキー)
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 関連項目
5 外部リンク
来歴 [編集]
若い頃は不良少年で、煉瓦積みの職人、ハイウェイ・パトロールの警察官などの職業を経た。1949年(1950年とも)、24歳でプロレス入り。レジー・リソワスキー(Reggie Lisowski)の名でリングに上がりスタンレー・リソワスキーとタッグで活躍した。
1963年2月15日、ネブラスカ州オマハでバーン・ガニアを破ってAWA世界ヘビー級王座(オハマ版)を奪取。
同年7月9日、ミネソタ州ミネアポリスでバーン・ガニアを破ってAWA世界ヘビー級王座(ミネアポリス版)を奪取。
1963年8月20日、同地でディック・ザ・ブルーザーと組んでAWA世界タッグ王座を奪取(以降、ブルーザーとのコンビで計4回、コンビを変え計4回の奪取に成功)。
1963年11月29日、ミネソタ州セントポールでバーン・ガニア再度AWA世界ヘビー級王座(オハマ版)を奪取。
1965年8月21日、同地でマッドドッグ・バションを破り統一されたAWA世界ヘビー級王座を奪取。
1967年12月、日本プロレスに初来日しジャイアント馬場のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦。
1969年8月11日、日本プロレス、札幌中島スポーツセンターでジャイアント馬場&アントニオ猪木(BI砲)を破りインターナショナル・タッグ王座を奪取。
1972年11月、国際プロレスに来日。11月27日にブルーザーと組んでストロング小林&グレート草津と日本初の金網デスマッチによるタッグ戦を行う。
1976年1月、全日本プロレスに最後の来日。
1984年5月6日、バロン・フォン・ラシクと組んでクラッシャー・ブラックウェル&ケン・パテラを破りAWA世界タッグ王座を奪取。これが最後の載冠となる。
1986年、WWFにスポット参戦。ジャイアント・マシーン、スーパー・マシーン、ビッグ・マシーンらのWWF版マシーン軍団の一員として、覆面レスラーのクラッシャー・マシーン(Crusher Machine)を名乗る。素顔でもハルク・ホーガンとタッグを組み、ビッグ・ジョン・スタッド&キングコング・バンディと対戦した。
1989年頃、WWFで引退。
2005年10月22日、ミルウォーキーの病院で脳腫瘍のため死去。
得意技 [編集]
パンチ攻撃
フルネルソン
獲得タイトル [編集]
AWAブラスナックル王座:1回
AWA世界ヘビー級王座(ミネアポリス版):2回
AWA世界ヘビー級王座(オマハ版):1回
AWA世界タッグ王座:9回(w / ディック・ザ・ブルーザー×5、バーン・ガニア、レッド・バスチェン、ビル・ロビンソン、バロン・フォン・ラシク)
NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / トミー・リッチ)
NWAカナディアン・オープンタッグ王座:1回(w / スタン・リソワスキー)
NWA世界タッグ王座(シカゴ版):3回(w / アート・ネルソン、スタン・リソワスキー×2)
NWA世界タッグ王座(ミネアポリス版):2回(w / スタン・リソワスキー)
WWA世界タッグ王座:6回(w / ディック・ザ・ブルーザー)
インターナショナル・タッグ王座:1回(w / ディック・ザ・ブルーザー)
ブリティッシュ・オープンタッグ王座:1回(w / スタン・リソワスキー)
投稿者 格闘技の王子様 19:30 | コメント(0)| トラックバック(0)
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