2011年01月06日
クリス・アダムス
"ジェントルマン" クリス・アダムス("Gentleman" Chris Adams)のリングネームで知られるクリストファー・アダムス(Christopher Adams、1955年2月10日 - 2001年10月7日)は、イギリス・ウォリックシャー出身のプロレスラー。モスクワとロサンゼルスの両オリンピックで銀メダルを獲得した柔道家のニール・アダムスは実弟である。
1980年代から1990年代にかけて、アメリカ合衆国のテキサス地区を主戦場に活躍。その甘いマスクで女性ファンの人気を獲得する一方、ジノ・ヘルナンデスとのヒール・タッグチーム、ダイナミック・デュオ(The Dynamic Duo)でも悪名を売った。ストーン・コールド・スティーブ・オースチンの師匠としても知られている。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 外部リンク
来歴 [編集]
少年時代から格闘技に励み、柔道や空手の段位も取得。イギリスを代表するプロレスラーのビッグ・ダディやトニー・シンクレア(トニー・セント・クレアー)のトレーニングを受け、1978年に英国でデビュー。武道のバックグラウンドをキャラクターに活かし、当時は "ジュードー" クリス・アダムスまたは "ブラックベルト" クリス・アダムスと名乗っていた。
1980年にアメリカ・マット界に進出し、西海岸のLA地区に参戦。1981年にはボボ・ブラジルを破りNWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得した[1]。同年5月にLAとの提携ルートで新日本プロレスに初来日し、MSGシリーズの第4回大会に出場。リーグ戦ではキャリア不足と軽量が響き白星配給係となったが、そのフレッシュでイキのいいファイトスタイルで高評価を獲得。以降も新日本の常連外国人となり、藤波辰巳や初代タイガーマスクと好勝負を展開した。また、新日本のブッキングでメキシコのUWAにも遠征し、1981年10月18日にはペロ・アグアヨからWWFライトヘビー級王座を奪取している。
1983年より "ジェントルマン" クリス・アダムスを名乗り、フリッツ・フォン・エリックが主宰するテキサス州ダラスのWCCWに定着。英国からやって来たフォン・エリック兄弟の友人としてベビーフェイス人気を獲得し、ジミー・ガービンやファビュラス・フリーバーズ(マイケル・ヘイズ&テリー・ゴディ)と抗争、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦した。しかし1984年9月、ケビン・フォン・エリックとの仲間割れアングルが組まれヒールに転向。翌1985年には同じ色悪系の"ゴージャス" ジノ・ヘルナンデスと "ダイナミック・デュオ" を結成し、NWAアメリカン・タッグ王座を巡ってケビン&ケリー・フォン・エリックと熾烈な抗争を繰り広げた[2]。
1986年2月にヘルナンデスが急死してからはベビーフェイスに戻り、リック・ルードとの抗争を開始。同年7月4日にはルードからWCWA(WCCW)世界ヘビー級王座を奪取している[3]。1987年にはミッドサウス地区のUWF(ビル・ワット主宰)にも参戦し、2月7日に行われたUWF世界タッグ王座決定トーナメントにテリー・テイラーとのコンビで出場。決勝で若手ヒール時代のスティング&リック・スタイナーを破り、チャンピオン・チームとなった[4]。
1988年の末からはダラスでプロレスリング・スクールを開校し、スティーブ・オースチンらを育成する。ダラスのWCCWがテネシー州メンフィスのCWA(ジェリー・ジャレット&ジェリー・ローラー主宰)と業務提携を結び1989年にUSWAが発足すると、同団体にて弟子のオースチンの抗争相手も務めた[5]。
1991年にWWFのトライアウトを受けるが契約は見送られ、WCCWの後継団体ともいえるダラスのGWFに定着。1993年12月と1994年7月の2度に渡り、同団体認定の北米ヘビー級王座に就く[6]。以降もメンフィスのUSWAやシカゴのAWFなどのインディー団体を転戦し、1997年にはWCWに登場。ロード・スティーブン・リーガルとも英国人コンビを組んだが本格的なタッグチーム結成には至らず、ミッドカードに出場するジョバーのポジションに甘んじ、1999年にWCWを解雇された。
その後はダラス周辺のインディー団体に単発参戦していたが、2000年4月、ドラッグとアルコールの過剰摂取で愛人と一緒に無意識状態になっているところを知人宅で発見される。愛人は数時間後に死亡、アダムスは故殺罪に問われたが、裁判を控えた2001年10月7日、酒の上での喧嘩がもとで友人に正当防衛として射殺された[7]。46歳没。
得意技 [編集]
スーパーキック
エンズイギリ
ドロップキック
スリーパーホールド
獲得タイトル [編集]
NWAハリウッド・レスリング(ロサンゼルス地区)
NWAアメリカス・ヘビー級王座:2回
NWAアメリカス・タッグ王座:2回(w / トム・プリチャード、リンゴ・リグビー)
WCCW(ダラス地区)
NWAアメリカン・ヘビー級王座:4回
NWAアメリカン・タッグ王座:2回(w / ジノ・ヘルナンデス)
NWAテキサス・ブラスナックル王座:1回
NWAテキサス・ヘビー級王座:1回
NWA世界6人タッグ王座:2回(w / ジノ・ヘルナンデス&ジェイク・ロバーツ、スティーブ・シンプソン&ケビン・フォン・エリック)
WCCW TV王座:3回
WCWA TV王座:1回
WCWA世界ヘビー級王座:1回
その他
WWFライトヘビー級王座:1回
UWF世界タッグ王座:1回(w / テリー・テイラー)
GWF北米ヘビー級王座:2回
1980年代から1990年代にかけて、アメリカ合衆国のテキサス地区を主戦場に活躍。その甘いマスクで女性ファンの人気を獲得する一方、ジノ・ヘルナンデスとのヒール・タッグチーム、ダイナミック・デュオ(The Dynamic Duo)でも悪名を売った。ストーン・コールド・スティーブ・オースチンの師匠としても知られている。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 外部リンク
来歴 [編集]
少年時代から格闘技に励み、柔道や空手の段位も取得。イギリスを代表するプロレスラーのビッグ・ダディやトニー・シンクレア(トニー・セント・クレアー)のトレーニングを受け、1978年に英国でデビュー。武道のバックグラウンドをキャラクターに活かし、当時は "ジュードー" クリス・アダムスまたは "ブラックベルト" クリス・アダムスと名乗っていた。
1980年にアメリカ・マット界に進出し、西海岸のLA地区に参戦。1981年にはボボ・ブラジルを破りNWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得した[1]。同年5月にLAとの提携ルートで新日本プロレスに初来日し、MSGシリーズの第4回大会に出場。リーグ戦ではキャリア不足と軽量が響き白星配給係となったが、そのフレッシュでイキのいいファイトスタイルで高評価を獲得。以降も新日本の常連外国人となり、藤波辰巳や初代タイガーマスクと好勝負を展開した。また、新日本のブッキングでメキシコのUWAにも遠征し、1981年10月18日にはペロ・アグアヨからWWFライトヘビー級王座を奪取している。
1983年より "ジェントルマン" クリス・アダムスを名乗り、フリッツ・フォン・エリックが主宰するテキサス州ダラスのWCCWに定着。英国からやって来たフォン・エリック兄弟の友人としてベビーフェイス人気を獲得し、ジミー・ガービンやファビュラス・フリーバーズ(マイケル・ヘイズ&テリー・ゴディ)と抗争、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦した。しかし1984年9月、ケビン・フォン・エリックとの仲間割れアングルが組まれヒールに転向。翌1985年には同じ色悪系の"ゴージャス" ジノ・ヘルナンデスと "ダイナミック・デュオ" を結成し、NWAアメリカン・タッグ王座を巡ってケビン&ケリー・フォン・エリックと熾烈な抗争を繰り広げた[2]。
1986年2月にヘルナンデスが急死してからはベビーフェイスに戻り、リック・ルードとの抗争を開始。同年7月4日にはルードからWCWA(WCCW)世界ヘビー級王座を奪取している[3]。1987年にはミッドサウス地区のUWF(ビル・ワット主宰)にも参戦し、2月7日に行われたUWF世界タッグ王座決定トーナメントにテリー・テイラーとのコンビで出場。決勝で若手ヒール時代のスティング&リック・スタイナーを破り、チャンピオン・チームとなった[4]。
1988年の末からはダラスでプロレスリング・スクールを開校し、スティーブ・オースチンらを育成する。ダラスのWCCWがテネシー州メンフィスのCWA(ジェリー・ジャレット&ジェリー・ローラー主宰)と業務提携を結び1989年にUSWAが発足すると、同団体にて弟子のオースチンの抗争相手も務めた[5]。
1991年にWWFのトライアウトを受けるが契約は見送られ、WCCWの後継団体ともいえるダラスのGWFに定着。1993年12月と1994年7月の2度に渡り、同団体認定の北米ヘビー級王座に就く[6]。以降もメンフィスのUSWAやシカゴのAWFなどのインディー団体を転戦し、1997年にはWCWに登場。ロード・スティーブン・リーガルとも英国人コンビを組んだが本格的なタッグチーム結成には至らず、ミッドカードに出場するジョバーのポジションに甘んじ、1999年にWCWを解雇された。
その後はダラス周辺のインディー団体に単発参戦していたが、2000年4月、ドラッグとアルコールの過剰摂取で愛人と一緒に無意識状態になっているところを知人宅で発見される。愛人は数時間後に死亡、アダムスは故殺罪に問われたが、裁判を控えた2001年10月7日、酒の上での喧嘩がもとで友人に正当防衛として射殺された[7]。46歳没。
得意技 [編集]
スーパーキック
エンズイギリ
ドロップキック
スリーパーホールド
獲得タイトル [編集]
NWAハリウッド・レスリング(ロサンゼルス地区)
NWAアメリカス・ヘビー級王座:2回
NWAアメリカス・タッグ王座:2回(w / トム・プリチャード、リンゴ・リグビー)
WCCW(ダラス地区)
NWAアメリカン・ヘビー級王座:4回
NWAアメリカン・タッグ王座:2回(w / ジノ・ヘルナンデス)
NWAテキサス・ブラスナックル王座:1回
NWAテキサス・ヘビー級王座:1回
NWA世界6人タッグ王座:2回(w / ジノ・ヘルナンデス&ジェイク・ロバーツ、スティーブ・シンプソン&ケビン・フォン・エリック)
WCCW TV王座:3回
WCWA TV王座:1回
WCWA世界ヘビー級王座:1回
その他
WWFライトヘビー級王座:1回
UWF世界タッグ王座:1回(w / テリー・テイラー)
GWF北米ヘビー級王座:2回
投稿者 格闘技の王子様 19:30 | コメント(0)| トラックバック(0)
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