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格闘技の王子様 実はかの有名な格闘技の王子様は├─≠ョ─ヵラスであった

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スタン・レーン

"スウィート" スタン・レーン("Sweet" Stan Lane、1953年8月5日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。本名はブレック・スタンフィールド・レーン(Breck Stansfield Lane)。ノースカロライナ州グリーンズボロ出身。
主にタッグ・プレイヤーとしての実績で知られ、スティーブ・カーンとのファビュラス・ワンズ、ボビー・イートンとのミッドナイト・エクスプレス、トム・プリチャードとのヘブンリー・ボディーズなど、様々なタッグチームで活躍した。
目次 [非表示]
1 来歴
1.1 初期
1.2 ファビュラス・ワンズ
1.3 ミッドナイト・エクスプレス
1.4 ヘブンリー・ボディーズ
1.5 引退後
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 外部リンク
来歴 [編集]

初期 [編集]
1974年[1]、リック・フレアーの仲介により地元ノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区(ジム・クロケット・プロモーションズ)にてデビュー[2]。フレアーにあやかり、デビュー当時はスタン・フレアー(Stan Flair)なるリングネームを名乗っていた[3]。
1979年より "ネイチャーボーイ" スタンリー・レーン("Nature Boy" Stanley Lane)の名義でNWAフロリダ地区に参戦。若手のヒールとして頭角を現し、ブライアン・セント・ジョンとのコンビでエディ・グラハム&レイ・スティーブンスなどのチームを破りフロリダ・タッグ王座を再三獲得した[4]。1980年9月にはジム・バーネットの運営するジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに遠征し、ジョージア版のNWAジュニアヘビー級王座をケビン・サリバンから奪取している[5]。
1981年7月には、当時フロリダ地区との提携ルートを持っていた新日本プロレスに初来日。キック攻撃を主体としたイキのいいラフファイトを披露し、藤波辰巳のWWFジュニアヘビー級王座に札幌中島スポーツセンターと蔵前国技館において連続挑戦した[2]。
ファビュラス・ワンズ [編集]
帰国後はテネシー州メンフィスのCWAに主戦場を移し、1982年よりベビーフェイスに転向。リングネームをスタン・レーン(Stan Lane)に改め、フロリダでのライバルだったスティーブ・カーンとファビュラス・ワンズ(The Fabulous Ones)を結成する。当時のプロレス界では目新しかったMTVスタイルのミュージック・ビデオも製作され(音楽はZZトップが担当)、女性や子供を中心に大きな人気を獲得、後のロックンロール・エクスプレスなどのアイドル系タッグチームの先駆的存在となった。
1984年はAWAに参戦してロード・ウォリアーズと抗争。その間、CWAはトミー・リッチとエディ・ギルバートに新ファビュラス・ワンズを名乗らせるなど[6]、一時はCWAとの間に軋轢も生じたが、同年の下期よりメンフィスに復帰。翌1985年にかけて、ファースト・ファミリー(キングコング・バンディ&リック・ルード)やシープハーダーズ(ジョナサン・ボイド&リップ・モーガン)などを相手に南部タッグ王座を巡る激闘を展開した[7]。
1986年は古巣のフロリダに戻り、オリジナル版のシープハーダーズ(ブッチ・ミラー&ルーク・ウィリアムス)とUSタッグ王座を争った[8]。同年8月には新日本プロレスから遠征してきた藤波辰巳と木村健悟のチームと防衛戦を行っており、この試合はテレビ朝日の『ワールドプロレスリング』でも放送された。
ミッドナイト・エクスプレス [編集]
1987年にファビュラス・ワンズを解散し、自身のキャリアの出発点であるジム・クロケット・プロモーションズに復帰。再度のヒールターンを行い、同プロを離脱したデニス・コンドリーに代わるボビー・イートンの新パートナーとして、ミッドナイト・エクスプレス(The Midnight Express)に加入する。1988年9月にはフォー・ホースメンのタリー・ブランチャード&アーン・アンダーソンを破り、ミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座を獲得した[9]。
クロケット・プロがテッド・ターナーに買収された1988年11月以降も新会社のWCWに継続参戦し、コンドリーとランディ・ローズのオリジナル・ミッドナイト・エクスプレスやスタイナー・ブラザーズ(リック&スコット・スタイナー)と抗争を展開していたが、1990年10月のPPV "Halloween Havoc" を最後に、マネージャーのジム・コルネットと共にWCWを離脱した。
ヘブンリー・ボディーズ [編集]
WCW脱退後はメンフィスに戻り、CWAの後継団体であるUSWAにて、コルネットをマネージャーにスティーブ・カーンとのファビュラス・ワンズをヒール・バージョンで一時的に再結成。1991年初頭に、ジェリー・ローラー&ジェフ・ジャレットとUSWA世界タッグ王座を争っている[10]。
同年10月、コルネットがノックスビルにて設立したSMW(スモーキー・マウンテン・レスリング)に参画。ドクター・トム・プリチャードをパートナーに、ヘブンリー・ボディーズ(The Heavenly Bodies)なる新チームを結成する。1992年からはロックンロール・エクスプレス(リッキー・モートン&ロバート・ギブソン)やファンタスティックス(ボビー&ジャッキー・フルトン)など、ファビュラス・ワンズの影響下にあったチームと抗争を繰り広げた[11]。
引退後 [編集]
1993年、ジミー・デル・レイ(ジミー・バックランド)をヘブンリー・ボディーズの後任にして現役を離れ、同年よりSMWとの業務提携を開始したWWFにカラー・コメンテーターとして登場[3]。ビンス・マクマホン、ゴリラ・モンスーン、テッド・デビアスらと共に『WWFスーパースターズ』や『WWFレスリング・チャレンジ』などの番組のホストを1995年まで担当した。
1990年代末より再びリングに立つようになり、2004年にはROHにてイートンやコンドリーとミッドナイト・エクスプレスを再結成。2005年8月に開催されたオールドタイマーによるリユニオン・イベント "WrestleReunion" では、ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク、ミック・フォーリーとの6人タッグマッチが行われた[12]。近年も各地のインディー団体に、レジェンドとしてゲスト参戦している。
得意技 [編集]

ハイキック
ロシアン・レッグ・スウィープ
ダブルアーム・スープレックス
フライング・ラリアット
獲得タイトル [編集]

ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
NWAジョージア・ジュニアヘビー級王座:1回[5]
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
NWAフロリダ・タッグ王座:3回(w / ブライアン・セント・ジョン)[4]
NWA USタッグ王座(フロリダ版):2回(w / スティーブ・カーン)[8]
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション / USWA
AWA南部タッグ王座:16回(w / スウィート・ブラウン・シュガー、ロン・バス、スティーブ・カーン×14)[7]
USWA世界タッグ王座:1回(w / スティーブ・カーン)[10]
サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
SCW世界タッグ王座:1回(w / スティーブ・カーン)[13]
ジム・クロケット・プロモーションズ / WCW
NWA USタッグ王座:3回(w / ボビー・イートン)[14]
NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):1回(w / ボビー・イートン)[9]
スモーキー・マウンテン・レスリング
SMWタッグ王座:5回(w / トム・プリチャード)[11]
投稿者 格闘技の王子様 01:50 | コメント(0)| トラックバック(0)
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