2011年01月06日
イゴール・ボブチャンチン
イゴール・ボブチャンチン(Igor Vovchanchyn、男性、1973年8月6日 - )[1]は、ウクライナ出身の総合格闘家。現在はハルキウ州ハルキウ市に在住。
独特の軌道を描いて放たれる強烈なパンチ、ロシアン・フックを武器に、敵を次々と薙ぎ倒していく姿から、「北の最終兵器」という異名を持つ。
目次 [非表示]
1 来歴
2 エピソード
3 戦績
3.1 総合格闘技
3.2 キックボクシング
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
来歴 [編集]
桜庭和志をして「気が狂いそうになるほど痛い」と言わしめたロシアン・フックで築いたKO勝ちから、彼は日本の総合格闘技イベントPRIDEの名物的存在となった。『PRIDE GP 2000』では数々の強豪を退け、準優勝に輝いている。
学生時代に陸上競技を経験した後、オレッグ・タクタロフの元でボクシングを学ぶ。さらにキックボクシングをベースにレスリングや関節技を習得し[2]、1990年代半ばから母国ウクライナ、ロシア共和国、ベラルーシなど旧ソビエト連邦の諸国での総合格闘技の大会に出場した。
日本へは、1998年のPRIDE.4のゲーリー・グッドリッジ戦でPRIDEデビュー。以後は、PRIDEを主戦場とした。PRIDEではヘビー級(体重無制限)のハードパンチャーの打撃系選手として活躍していたが、次第に本来のヘビー級の骨格を持つ選手に対し成績がふるわず、2005年頃より本格的にミドル級(93kg以下)に転向。総合格闘技デビュー当時は90kgであったこともあり減量に成功し、かつての大きな腹が腹筋の割れた腹に変わってスマートになり、ミドル級の強豪選手としてPRIDEミドル級GP2005に復活を賭けたが、PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDでアリスター・オーフレイムを相手に2回戦負けになった。 1999年7月18日、K-1 DREAM '99でK-1に挑戦したが、アーネスト・ホースト相手にローキックでKO負けした。
母国でレストラン経営をしており、ビジネスで生活を営むことができる環境にあり[3]、2005年のPRIDEでの中村和裕戦を最後に4年間戦いから遠ざかった。2007年のアブダビコンバットでは99kg未満級に出場予定だったが、これも怪我により欠場となった。2008年には現役を引退する意向であることをインタビューで明らかにした。ハードパンチャー故の故障により、両肘にはボルトが埋め込まれ、数々の激闘で負った怪我を治すため、大規模な手術を繰り返していると言う。本人曰く、「もう右手で物を殴ることも出来ない」とのこと[2]。ボブチャンチンの日本での代理人を務める川崎浩市は完全に引退が決まったわけではないとこの報道を否定している[4]。
エピソード [編集]
母国で車を運転中、あまりの怪力のためにハンドルをもぎ取ってしまった。
専属の通訳兼マネージャー(通称:オバチャンチン)は変な日本語を話すことで名物キャラクターとなっている。
戦績 [編集]
総合格闘技 [編集]
総合格闘技 戦績
57 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
45 勝 24 14 7 0 1 1
10 敗 1 6 3 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× 中村和裕 2R終了 判定0-3 PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦
【ミドル級GP リザーブマッチ】 2005年8月28日
× アリスター・オーフレイム 1R 1:20 フロントチョーク PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND
【ミドル級GP 2回戦】 2005年6月26日
○ 近藤有己 3R終了 判定3-0 PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦
【ミドル級GP 1回戦】 2005年4月23日
○ 高橋義生 1R 1:10 KO(スタンドでのパンチ) PRIDE.29 SURVIVAL 2005年2月20日
○ セルゲイ・テレジモフ 1R ヒールホールド Water of Peresvit 2004年12月4日
○ 藤井軍鶏侍 1R 4:02 TKO(右フック→サッカーボールキック) PRIDE 武士道 -其の伍- 2004年10月14日
○ ダン・ボビッシュ 2R 1:45 TKO(グラウンドでのパンチ) PRIDE.27
【PRIDE GP サバイバルマッチ】 2004年2月1日
× ミルコ・クロコップ 1R 1:29 KO(左ハイキック) PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦
【ヘビー級ワンマッチ】 2003年8月10日
○ ボブ・シュライバー 2R 4:05 チョークスリーパー It's Showtime 2003年6月8日
× クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン 1R 7:17 TKO(グラウンドでのパンチ) PRIDE.22 2002年9月29日
× ヒース・ヒーリング 3R終了 判定0-3 PRIDE.19 2002年2月24日
○ ヴァレンタイン・オーフレイム 1R 4:35 ヒールホールド PRIDE.18 2001年12月23日
○ リカルダス・ロセヴィチュス 2R TKO(ローキック) Rings Lithuania: Bushido Rings 3 2001年11月10日
× マリオ・スペーヒー 1R 2:52 肩固め PRIDE.17 2001年11月3日
○ 佐竹雅昭 3R終了 判定3-0 PRIDE.15 2001年7月29日
○ ギルバート・アイブル 1R 1:52 チョークスリーパー PRIDE.14 2001年5月27日
× トレイ・テリグマン 3R終了 判定0-3 PRIDE.13 2001年3月25日
○ マーク・ケアー 延長R終了 判定3-0 PRIDE.12 2000年12月23日
○ 高田延彦 2R 3:17 ギブアップ(パウンド) PRIDE.11 2000年10月31日
○ エンセン井上 1R終了 TKO(ドクターストップ) PRIDE.10 2000年8月27日
○ 松井大二郎 1R 5:03 TKO(右眉カット) PRIDE.9 2000年6月4日
× マーク・コールマン 延長2R 3:09 ギブアップ(グラウンドでの膝蹴り) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦 2000年5月1日
○ 桜庭和志 1R終了 TKO(タオル投入) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【準決勝】 2000年5月1日
○ ゲーリー・グッドリッジ 1R 10:14 TKO(スタンドでのパンチ) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【準々決勝】 2000年5月1日
○ アレクサンダー大塚 1R終了 判定3-0 PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦
【1回戦】 2000年1月30日
○ フランシスコ・ブエノ 1R 1:23 KO(パンチ連打) PRIDE.8 1999年11月21日
- マーク・ケアー 無効試合 PRIDE.7 1999年9月12日
○ カーロス・バヘット 延長R終了 判定2-1 PRIDE.6 1999年7月4日
○ ヴェプコ・バルダナシヴィリ ラウンド不詳 チョーク InterPride 1999: Heavyweight Final 1999年5月8日
○ 小路晃 2R終了 判定5-0 PRIDE.5 1999年4月29日
○ エジソン・カルヴァーリョ 1R 3:16 TKO(右フック) World Vale Tudo Championship 7 1999年2月2日
○ アロイジオ・フレイタス・ネート 1R 7:26 ギブアップ World Vale Tudo Championship 6 1998年11月1日
○ ゲーリー・グッドリッジ 1R 5:58 KO PRIDE.4 1998年10月11日
○ ローマン ・チクーノフ 1R 2:15 KO MPS 1996 - 世界のカ人1996 1996年1月23日
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
キックボクシング [編集]
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× アーネスト・ホースト 3R 0:51 KO(右ローキック) K-1 DREAM '99 1999年7月18日
脚注 [編集]
^ ウクライナ語名はイーホル・ヤロスラーヴォヴィチ・ヴォウチャーンチン(Ігор Ярославович Вовчанчин)、ロシア語名はイーゴリ・ヤロスラーヴォヴィチ・ヴォフチャーンチン(Игорь Ярославович Вовчанчин)。
^ a b Igor Vovchanchyn in exclusive interview Mix Fight M-1 2008年2月10日
^ 『kamipro』No.106、エンターブレイン、2006年。日本での代理人の川崎浩市コラムより。
^ 『kamipro』No.120、エンターブレイン、2008年。川崎浩市コラム。
独特の軌道を描いて放たれる強烈なパンチ、ロシアン・フックを武器に、敵を次々と薙ぎ倒していく姿から、「北の最終兵器」という異名を持つ。
目次 [非表示]
1 来歴
2 エピソード
3 戦績
3.1 総合格闘技
3.2 キックボクシング
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
来歴 [編集]
桜庭和志をして「気が狂いそうになるほど痛い」と言わしめたロシアン・フックで築いたKO勝ちから、彼は日本の総合格闘技イベントPRIDEの名物的存在となった。『PRIDE GP 2000』では数々の強豪を退け、準優勝に輝いている。
学生時代に陸上競技を経験した後、オレッグ・タクタロフの元でボクシングを学ぶ。さらにキックボクシングをベースにレスリングや関節技を習得し[2]、1990年代半ばから母国ウクライナ、ロシア共和国、ベラルーシなど旧ソビエト連邦の諸国での総合格闘技の大会に出場した。
日本へは、1998年のPRIDE.4のゲーリー・グッドリッジ戦でPRIDEデビュー。以後は、PRIDEを主戦場とした。PRIDEではヘビー級(体重無制限)のハードパンチャーの打撃系選手として活躍していたが、次第に本来のヘビー級の骨格を持つ選手に対し成績がふるわず、2005年頃より本格的にミドル級(93kg以下)に転向。総合格闘技デビュー当時は90kgであったこともあり減量に成功し、かつての大きな腹が腹筋の割れた腹に変わってスマートになり、ミドル級の強豪選手としてPRIDEミドル級GP2005に復活を賭けたが、PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDでアリスター・オーフレイムを相手に2回戦負けになった。 1999年7月18日、K-1 DREAM '99でK-1に挑戦したが、アーネスト・ホースト相手にローキックでKO負けした。
母国でレストラン経営をしており、ビジネスで生活を営むことができる環境にあり[3]、2005年のPRIDEでの中村和裕戦を最後に4年間戦いから遠ざかった。2007年のアブダビコンバットでは99kg未満級に出場予定だったが、これも怪我により欠場となった。2008年には現役を引退する意向であることをインタビューで明らかにした。ハードパンチャー故の故障により、両肘にはボルトが埋め込まれ、数々の激闘で負った怪我を治すため、大規模な手術を繰り返していると言う。本人曰く、「もう右手で物を殴ることも出来ない」とのこと[2]。ボブチャンチンの日本での代理人を務める川崎浩市は完全に引退が決まったわけではないとこの報道を否定している[4]。
エピソード [編集]
母国で車を運転中、あまりの怪力のためにハンドルをもぎ取ってしまった。
専属の通訳兼マネージャー(通称:オバチャンチン)は変な日本語を話すことで名物キャラクターとなっている。
戦績 [編集]
総合格闘技 [編集]
総合格闘技 戦績
57 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
45 勝 24 14 7 0 1 1
10 敗 1 6 3 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× 中村和裕 2R終了 判定0-3 PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦
【ミドル級GP リザーブマッチ】 2005年8月28日
× アリスター・オーフレイム 1R 1:20 フロントチョーク PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND
【ミドル級GP 2回戦】 2005年6月26日
○ 近藤有己 3R終了 判定3-0 PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦
【ミドル級GP 1回戦】 2005年4月23日
○ 高橋義生 1R 1:10 KO(スタンドでのパンチ) PRIDE.29 SURVIVAL 2005年2月20日
○ セルゲイ・テレジモフ 1R ヒールホールド Water of Peresvit 2004年12月4日
○ 藤井軍鶏侍 1R 4:02 TKO(右フック→サッカーボールキック) PRIDE 武士道 -其の伍- 2004年10月14日
○ ダン・ボビッシュ 2R 1:45 TKO(グラウンドでのパンチ) PRIDE.27
【PRIDE GP サバイバルマッチ】 2004年2月1日
× ミルコ・クロコップ 1R 1:29 KO(左ハイキック) PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦
【ヘビー級ワンマッチ】 2003年8月10日
○ ボブ・シュライバー 2R 4:05 チョークスリーパー It's Showtime 2003年6月8日
× クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン 1R 7:17 TKO(グラウンドでのパンチ) PRIDE.22 2002年9月29日
× ヒース・ヒーリング 3R終了 判定0-3 PRIDE.19 2002年2月24日
○ ヴァレンタイン・オーフレイム 1R 4:35 ヒールホールド PRIDE.18 2001年12月23日
○ リカルダス・ロセヴィチュス 2R TKO(ローキック) Rings Lithuania: Bushido Rings 3 2001年11月10日
× マリオ・スペーヒー 1R 2:52 肩固め PRIDE.17 2001年11月3日
○ 佐竹雅昭 3R終了 判定3-0 PRIDE.15 2001年7月29日
○ ギルバート・アイブル 1R 1:52 チョークスリーパー PRIDE.14 2001年5月27日
× トレイ・テリグマン 3R終了 判定0-3 PRIDE.13 2001年3月25日
○ マーク・ケアー 延長R終了 判定3-0 PRIDE.12 2000年12月23日
○ 高田延彦 2R 3:17 ギブアップ(パウンド) PRIDE.11 2000年10月31日
○ エンセン井上 1R終了 TKO(ドクターストップ) PRIDE.10 2000年8月27日
○ 松井大二郎 1R 5:03 TKO(右眉カット) PRIDE.9 2000年6月4日
× マーク・コールマン 延長2R 3:09 ギブアップ(グラウンドでの膝蹴り) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦 2000年5月1日
○ 桜庭和志 1R終了 TKO(タオル投入) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【準決勝】 2000年5月1日
○ ゲーリー・グッドリッジ 1R 10:14 TKO(スタンドでのパンチ) PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【準々決勝】 2000年5月1日
○ アレクサンダー大塚 1R終了 判定3-0 PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦
【1回戦】 2000年1月30日
○ フランシスコ・ブエノ 1R 1:23 KO(パンチ連打) PRIDE.8 1999年11月21日
- マーク・ケアー 無効試合 PRIDE.7 1999年9月12日
○ カーロス・バヘット 延長R終了 判定2-1 PRIDE.6 1999年7月4日
○ ヴェプコ・バルダナシヴィリ ラウンド不詳 チョーク InterPride 1999: Heavyweight Final 1999年5月8日
○ 小路晃 2R終了 判定5-0 PRIDE.5 1999年4月29日
○ エジソン・カルヴァーリョ 1R 3:16 TKO(右フック) World Vale Tudo Championship 7 1999年2月2日
○ アロイジオ・フレイタス・ネート 1R 7:26 ギブアップ World Vale Tudo Championship 6 1998年11月1日
○ ゲーリー・グッドリッジ 1R 5:58 KO PRIDE.4 1998年10月11日
○ ローマン ・チクーノフ 1R 2:15 KO MPS 1996 - 世界のカ人1996 1996年1月23日
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
キックボクシング [編集]
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× アーネスト・ホースト 3R 0:51 KO(右ローキック) K-1 DREAM '99 1999年7月18日
脚注 [編集]
^ ウクライナ語名はイーホル・ヤロスラーヴォヴィチ・ヴォウチャーンチン(Ігор Ярославович Вовчанчин)、ロシア語名はイーゴリ・ヤロスラーヴォヴィチ・ヴォフチャーンチン(Игорь Ярославович Вовчанчин)。
^ a b Igor Vovchanchyn in exclusive interview Mix Fight M-1 2008年2月10日
^ 『kamipro』No.106、エンターブレイン、2006年。日本での代理人の川崎浩市コラムより。
^ 『kamipro』No.120、エンターブレイン、2008年。川崎浩市コラム。
投稿者 格闘技の王子様 21:54 | コメント(0)| トラックバック(0)
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