2010年12月31日
北原光騎
北原 光騎(きたはら こうき、1964年3月9日 -)は、福岡県福岡市出身の男性プロレスラー。本名は北原 辰巳(きたはら たつみ)。身長182cm、体重110kg。血液型AB型。
来歴 [編集]
高校時代は空手に熱中、喧嘩三昧の日々を過ごす。卒業後、就職するもわずか9か月で退職する。その後、営業職やドライバーなどを経験した後、20歳の時に上京、佐山聡に師事する。1987年6月、23歳で全日本プロレスに入団。1988年4月8日、百田光雄戦でデビューを飾る。その後、海外修行を経て、SWS→天龍源一郎が旗揚げしたWARに入団、天龍の右腕的存在として活躍する。33歳で自ら総合格闘技道場キャプチャー・インターナショナルを旗揚げする(翌年、同団体を離脱)。40歳でNPO法人日本ブルー・ブレイザーを設立し、理事長に就任。2004年4月より川崎市麻生区を拠点に、自らの門下生たちとともに防犯パトロールを行っている。
現在は、プロ選手のみならず、アマチュア選手も育成し、格闘技の自主興行地下室マッチを企画し、定期戦を開催している。北原自身も選手として、元横綱の北尾光覇、元前頭の太刀光修、プロ格闘家の三州ツバ吉らと対戦している。
来歴 [編集]
高校時代は空手に熱中、喧嘩三昧の日々を過ごす。卒業後、就職するもわずか9か月で退職する。その後、営業職やドライバーなどを経験した後、20歳の時に上京、佐山聡に師事する。1987年6月、23歳で全日本プロレスに入団。1988年4月8日、百田光雄戦でデビューを飾る。その後、海外修行を経て、SWS→天龍源一郎が旗揚げしたWARに入団、天龍の右腕的存在として活躍する。33歳で自ら総合格闘技道場キャプチャー・インターナショナルを旗揚げする(翌年、同団体を離脱)。40歳でNPO法人日本ブルー・ブレイザーを設立し、理事長に就任。2004年4月より川崎市麻生区を拠点に、自らの門下生たちとともに防犯パトロールを行っている。
現在は、プロ選手のみならず、アマチュア選手も育成し、格闘技の自主興行地下室マッチを企画し、定期戦を開催している。北原自身も選手として、元横綱の北尾光覇、元前頭の太刀光修、プロ格闘家の三州ツバ吉らと対戦している。
2010年12月31日
菊地毅
菊地 毅(きくち つよし、1964年11月21日 - )は、日本の男性プロレスラー。宮城県仙台市出身。フリーランス。
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1 経歴
2 タイトル歴
2.1 全日本プロレス
2.2 新日本プロレス
3 得意技
4 エピソード等
5 入場テーマ曲
6 脚注
7 外部リンク
経歴 [編集]
小中学生の頃はスイミングクラブに通い、一級下のクラスには齋藤彰俊がいた。大東文化大学へ進学後はレスリング部で活躍。1986年の全日本学生選手権100kg級に出場し優勝を果たした。その前年までこのクラスを連覇していたのは本田多聞であった。
1987年にジャンボ鶴田の紹介で全日本プロレスに入門。1987年12月、後楽園ホールでの『ハル薗田選手夫妻を偲ぶメモリアル・セレモニー』でのバトルロイヤルで小橋健太とともにデビューし、1988年2月、滋賀県栗東町民体育館の百田光雄戦で本デビュー。同日には自身より1か月遅く入門してきた小橋建太もデビューし、その後は互いに負けじと切磋琢磨していく。1990年に三沢光晴、川田利明らが結成した超世代軍に加入し、ジャンボ鶴田に対抗。鶴田にやられまくりながらも立ち上がるファイトで人気急上昇。旭日旗をあしらったタイツをまとい、火の玉小僧の異名をとる。そのあまりに壮絶な「やられっぷり」は「やられの美学」とまで形容された。この時期、鶴田の怪物性を最も引き出したのが菊地であった。
1992年には小橋とのタッグでダグ・ファーナス・ダニー・クロファットのカンナム・エキスプレスを破り、第59代アジア・タッグ王座となった。地元仙台市の宮城県スポーツセンターにおける戴冠だった。折からの人気に地元の大きな声援が加わり、『前座のタイトル』扱いだったアジアタッグ戦では前代未聞の熱狂を巻き起こした。
ジュニアヘビー級でのシングル戦線では長らく足踏みしたものの、4度目の挑戦となる1996年に日本武道館において渕正信を破り、遂に悲願の世界ジュニアヘビー級王座を獲得した(第16代)。この王座は2度防衛に成功(相手は浅子覚・ロブ・ヴァン・ダム)、同日には小橋も初めて三冠王者に輝いている。
しかし、同時期に台頭した小川良成を苦手としたため、ジュニアヘビー級で確固たる地盤を築くことができず、王座戦線からは次第に後退。全日本在籍時末期には悪役商会でのファイトが中心となっていた。
2000年の全日本大量選手離脱騒動では三沢らと行動を共にし、全日本プロレスを退団してプロレスリング・ノアに移籍。旗揚げ第2戦のメインで小橋が敗れ、秋山との乱闘を救出しお笑い系から離脱、注目を集める。その後バーニングの一員として小橋と共闘する傍ら、2002年には金丸義信と組んで獣神サンダー・ライガー&田中稔を破り、第9代IWGPジュニアタッグ王座を獲得した。
その後は秋山準との抗争で一時的に脚光を浴びたものの、再び前座戦線に戻っている。テレビ中継解説者でレフェリーのマイティ井上によると、菊地はヘッドバットの使用過多や、無茶をするファイトスタイルから、パンチドランカーの症状が出ているといい、体調面の不安も抱えている。
2009年には新日本プロレスベスト・オブ・ザ・スーパージュニア XVIに出場。公式戦初戦で優勝した金本浩二に勝利したが、結果は3勝3負の勝ち点6で決勝トーナメント出場は出来なかった。
2009年12月末日付で「年間報酬保障フリー選手契約が満了」[1]となり退団、フリーとなった。
現在は古巣の全日や様々な団体で活動している。
タイトル歴 [編集]
全日本プロレス [編集]
世界ジュニアヘビー級王座
第16代(防衛2回)
アジアタッグ王座
第59代(防衛3回)&小橋建太
新日本プロレス [編集]
IWGPジュニアタッグ王座
第9代(防衛4回)&金丸義信
得意技 [編集]
火の玉ボム
バックドロップのような体制で相手をリフトした後、相手の体を180度回転させ、自身はしりもちを付くようにして相手を後頭部から落下させる技。正鬼軍との抗争辺りから使用し始める。秋山準のブルーサンダー、橋誠のゴリサンダーが同系統の技である。
ゼロ戦キック
レッグラリアット。全日本時代の超世代軍に在籍していた際に開発。初期型は両足で行っていたが、現在は片足で行い反転して着地できる形になった。串刺し式などのバリエーションもある。
フィッシャーマンズ・スープレックス
最近ではブレーンバスターの連発の締めに、フィッシャーマンを持ってくることが多い。
スープレックス3連発
現在はWWEなどで盛んに見られる、ジャーマンやブレーンバスターの3連発は元は菊地が全日本時代から行っていた技。クリス・ベノワがワイルド・ペガサスとして新日本に来ていた際に、ライバル団体のジュニア選手が使っているのを参考にしたとコメントしている。菊地と名前は出ていない。
ロコモーションジャーマン・スープレックス
スパイダー式フロント・スープレックス
コーナートップで相手と向き合わせに座り、雪崩式フロント・スープレックスをする。その際ロープに足を引っ掛けて自分の転落を防ぐ。その後腹筋の力で起き上がり、ダイビングヘッドバットへと移行するのがお決まりのムーブ。
各種ヘッドバット
全日本時代には、場外乱闘の中でマイクでヘッドバット音を拾うといったムーブがお決まりだった。
ダイビング・ヘッドバット
ダイナマイト・キッドに憧れていて、超世代軍時代から使い始めた。モーション的には跳ぶというよりは、斜めに落ちるようなモーション。
エピソード等 [編集]
普通プロレス観戦において、『選手への声援』は呼び捨ての場合が多いが、仙台大会では、菊地への声援は呼び捨てではなく、男性客・女性客からも『菊地さん』と『さん付け』での声援が飛ぶ。
ここ一番の試合の時のみ、『日の丸タイツ』を着用する。仙台大会は常にこのタイツを着用しており、観客からは『日の丸タイツありがとう!』といった声援が飛ぶ。
入場テーマ曲 [編集]
HINOTAMA KOZO Again
頭突きdeジダンだ?! BUBBLE-B プロレスMix feat. 菊地毅 (Coup de Boule "Bubble-B Wrestling Mix" feat. Kikuchi-T)
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1 経歴
2 タイトル歴
2.1 全日本プロレス
2.2 新日本プロレス
3 得意技
4 エピソード等
5 入場テーマ曲
6 脚注
7 外部リンク
経歴 [編集]
小中学生の頃はスイミングクラブに通い、一級下のクラスには齋藤彰俊がいた。大東文化大学へ進学後はレスリング部で活躍。1986年の全日本学生選手権100kg級に出場し優勝を果たした。その前年までこのクラスを連覇していたのは本田多聞であった。
1987年にジャンボ鶴田の紹介で全日本プロレスに入門。1987年12月、後楽園ホールでの『ハル薗田選手夫妻を偲ぶメモリアル・セレモニー』でのバトルロイヤルで小橋健太とともにデビューし、1988年2月、滋賀県栗東町民体育館の百田光雄戦で本デビュー。同日には自身より1か月遅く入門してきた小橋建太もデビューし、その後は互いに負けじと切磋琢磨していく。1990年に三沢光晴、川田利明らが結成した超世代軍に加入し、ジャンボ鶴田に対抗。鶴田にやられまくりながらも立ち上がるファイトで人気急上昇。旭日旗をあしらったタイツをまとい、火の玉小僧の異名をとる。そのあまりに壮絶な「やられっぷり」は「やられの美学」とまで形容された。この時期、鶴田の怪物性を最も引き出したのが菊地であった。
1992年には小橋とのタッグでダグ・ファーナス・ダニー・クロファットのカンナム・エキスプレスを破り、第59代アジア・タッグ王座となった。地元仙台市の宮城県スポーツセンターにおける戴冠だった。折からの人気に地元の大きな声援が加わり、『前座のタイトル』扱いだったアジアタッグ戦では前代未聞の熱狂を巻き起こした。
ジュニアヘビー級でのシングル戦線では長らく足踏みしたものの、4度目の挑戦となる1996年に日本武道館において渕正信を破り、遂に悲願の世界ジュニアヘビー級王座を獲得した(第16代)。この王座は2度防衛に成功(相手は浅子覚・ロブ・ヴァン・ダム)、同日には小橋も初めて三冠王者に輝いている。
しかし、同時期に台頭した小川良成を苦手としたため、ジュニアヘビー級で確固たる地盤を築くことができず、王座戦線からは次第に後退。全日本在籍時末期には悪役商会でのファイトが中心となっていた。
2000年の全日本大量選手離脱騒動では三沢らと行動を共にし、全日本プロレスを退団してプロレスリング・ノアに移籍。旗揚げ第2戦のメインで小橋が敗れ、秋山との乱闘を救出しお笑い系から離脱、注目を集める。その後バーニングの一員として小橋と共闘する傍ら、2002年には金丸義信と組んで獣神サンダー・ライガー&田中稔を破り、第9代IWGPジュニアタッグ王座を獲得した。
その後は秋山準との抗争で一時的に脚光を浴びたものの、再び前座戦線に戻っている。テレビ中継解説者でレフェリーのマイティ井上によると、菊地はヘッドバットの使用過多や、無茶をするファイトスタイルから、パンチドランカーの症状が出ているといい、体調面の不安も抱えている。
2009年には新日本プロレスベスト・オブ・ザ・スーパージュニア XVIに出場。公式戦初戦で優勝した金本浩二に勝利したが、結果は3勝3負の勝ち点6で決勝トーナメント出場は出来なかった。
2009年12月末日付で「年間報酬保障フリー選手契約が満了」[1]となり退団、フリーとなった。
現在は古巣の全日や様々な団体で活動している。
タイトル歴 [編集]
全日本プロレス [編集]
世界ジュニアヘビー級王座
第16代(防衛2回)
アジアタッグ王座
第59代(防衛3回)&小橋建太
新日本プロレス [編集]
IWGPジュニアタッグ王座
第9代(防衛4回)&金丸義信
得意技 [編集]
火の玉ボム
バックドロップのような体制で相手をリフトした後、相手の体を180度回転させ、自身はしりもちを付くようにして相手を後頭部から落下させる技。正鬼軍との抗争辺りから使用し始める。秋山準のブルーサンダー、橋誠のゴリサンダーが同系統の技である。
ゼロ戦キック
レッグラリアット。全日本時代の超世代軍に在籍していた際に開発。初期型は両足で行っていたが、現在は片足で行い反転して着地できる形になった。串刺し式などのバリエーションもある。
フィッシャーマンズ・スープレックス
最近ではブレーンバスターの連発の締めに、フィッシャーマンを持ってくることが多い。
スープレックス3連発
現在はWWEなどで盛んに見られる、ジャーマンやブレーンバスターの3連発は元は菊地が全日本時代から行っていた技。クリス・ベノワがワイルド・ペガサスとして新日本に来ていた際に、ライバル団体のジュニア選手が使っているのを参考にしたとコメントしている。菊地と名前は出ていない。
ロコモーションジャーマン・スープレックス
スパイダー式フロント・スープレックス
コーナートップで相手と向き合わせに座り、雪崩式フロント・スープレックスをする。その際ロープに足を引っ掛けて自分の転落を防ぐ。その後腹筋の力で起き上がり、ダイビングヘッドバットへと移行するのがお決まりのムーブ。
各種ヘッドバット
全日本時代には、場外乱闘の中でマイクでヘッドバット音を拾うといったムーブがお決まりだった。
ダイビング・ヘッドバット
ダイナマイト・キッドに憧れていて、超世代軍時代から使い始めた。モーション的には跳ぶというよりは、斜めに落ちるようなモーション。
エピソード等 [編集]
普通プロレス観戦において、『選手への声援』は呼び捨ての場合が多いが、仙台大会では、菊地への声援は呼び捨てではなく、男性客・女性客からも『菊地さん』と『さん付け』での声援が飛ぶ。
ここ一番の試合の時のみ、『日の丸タイツ』を着用する。仙台大会は常にこのタイツを着用しており、観客からは『日の丸タイツありがとう!』といった声援が飛ぶ。
入場テーマ曲 [編集]
HINOTAMA KOZO Again
頭突きdeジダンだ?! BUBBLE-B プロレスMix feat. 菊地毅 (Coup de Boule "Bubble-B Wrestling Mix" feat. Kikuchi-T)
2010年12月31日
菊タロー
菊タロー(きくタロー、男性、1976年11月17日 - )は、日本のプロレスラーで、覆面レスラー。大阪府大阪市生野区出身。かつて大阪プロレスにおいてえべっさんのリングネームで活躍していたが、そのときにはギミック上、1976年1月10日(今宮戎神社の「十日戎」の中日)生まれ、今宮戎神社境内出身を名乗っていた。
菊タローはリングネームであり、また覆面レスラーの素顔ならびに本名は正式には公表されていないが、過去の経歴やリングネームが本名から1文字取ったことを明かしていること、さらに試合中にネタとしてマスクを脱いで見せる素顔などから、その正体は菊澤光信だと言われている。
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1 来歴
1.1 菊澤光信
1.2 えべっさん(初代)菊タロー
2 人物
2.1 レスラー・菊タロー
2.2 多趣味人・菊タロー
3 タイトル歴
4 得意技
5 入場テーマ曲
6 レスラーのものまね
7 出演作
8 関連項目
9 外部リンク
10 脚注
来歴 [編集]
ここでは菊タローの正体だと言われている菊澤光信の経歴も記載する。
菊澤光信 [編集]
正体とされる菊澤は栗栖正伸トレーニングジムから、W★INGプロモーションユニバーサル・プロレスリングの練習生を経て、1994年にFULLでプロレスデビュー。しばらくの間、FULL所属としてインディー団体に登場したが、FULLが活動を停止した後、フリーランスとして様々な団体での活動を行い、大仁田厚と組んでデスマッチを行っていたこともあった。一時期はDDT所属だったこともある。またNOSAWAと組んで東京愚連隊を結成、アメリカやメキシコの団体で活動していた。この頃には素顔だけでなく様々な覆面レスラーに変装してインディー団体に登場した。
えべっさん(初代)菊タロー [編集]
1999年7月24日、大阪プロレスにて、大阪・光明アムホールでザ・モンキーマジックを相手に「えべっさん」としてのデビューを果たした。当初はフリーのままでの参戦だったが、2004年に所属契約を交わした。くいしんぼう仮面との「大阪名物世界一選手権」を中心とした爆笑を呼ぶ抗争や、入場時のお賽銭パフォーマンス、さらに、武藤敬司のコピーである「えべ藤さん」、アブドーラ・ザ・ブッチャーのコピーの「えべドーラ・ブーチャン」など、有名レスラーの完璧なコピーで人気を博した。大阪プロレスの他、新日本プロレスや全日本プロレスにも参戦した。2005年4月24日の大阪・デルフィンアリーナでの試合を最後に大阪プロレスとの契約が切れて退団、フリーとして活動することとなった。
「えべっさん」のキャラクターが大阪プロレスの登録商標となっていることと、2005年4月29日から2代目えべっさんが大阪プロレスに登場したため、フリー転向後、最初の試合となった2005年5月7日東京・ディファ有明での「ディファカップ」以降は、えべ太郎のリングネームを使用し、マスク・コスチュームも若干変更したものの、えべ太郎のリングネームも大阪プロレス側からクレームが入ったため、2005年5月14日にアメリカ合衆国・ペンシルベニア州・フィラデルフィアのECWアリーナで開催されたベストオブベスト5を最後に使用を止め、暫定的なリングネーム太郎を経て、2005年5月20日の全日本プロレスの大会からは菊タローのリングネームを名乗るようになった。以降は日本国内・海外を問わず、様々な団体で明るく楽しいプロレスを披露し、活躍している。
フリー転向後、大阪プロレスに参戦することはなかったが、2008年以降には新旧のえべっさん同士のタッグを組むなどの参戦機会が増えている。2009年には「盟友であるくいしんぼう仮面のたっての願いで」という理由で久々にえべっさんとしての試合を行った。
2009年、大阪プロレスお笑い選手権、DRAGON GATEオープン・ザ・お笑いゲートタッグ王座(パートナーはドン・フジイ)、さらにDRAGON GATEオープン・ザ・お笑いゲート王座を奪取し、前代未聞のお笑い三冠を達成。名実ともに「日本一面白いレスラー」の称号を手にした。
人物 [編集]
レスラー・菊タロー [編集]
定番でありながらも確実に会場を沸かせるコミカルなムーブ、および軽妙なトークやパフォーマンスを惜しみなく披露し、特に前座から中盤にかけての名脇役として、その存在感が主役を食ってしまうことも度々あり、正統派レスラーからは強さと違った次元で難敵と見られることがある。お笑い中心ということを抜きにしてもヘビー、ジュニアヘビーを問わず対応できる試合スタイルであるが、全日本の世界ジュニアヘビー級選手権のタイトルは105kgという体重制限に引っかかるため、挑戦資格は無い(2007年6月10日「武藤祭」より)。
コミックレスラーの面が強いが実はかなり器用で、シャイニングウイザード(菊ザード)、菊落とし、トップコーナーからのミサイルキックやムーンサルトプレス等も使いこなせる。セメントマッチで獣神サンダー・ライガーとも激突、好勝負を繰り広げた。
そのスタイル上、受けが強く(やられっぷりが良く)、全日本にチーム3Dが参戦した際は、スポークスマンという体で毎試合のようにテーブルに叩きつけられる役を務めていた。これはインディー時代にデスマッチも行っていた豊富な経験の賜物といえよう。ただし、最近は腰の不調を自らのブログで訴えていることが多い、アメリカ遠征の際の合間にWWE観戦した時はデスマッチで被った額の傷を見せたらプロレスラーだということを認識してもらえバックステージを通してくれたとのこと。
菊タローの試合ではレフェリーを巻き込むこともあり、特に大阪プロレス時代からの長い付き合いであるDDTの松井幸則は、菊タローと抜群に息の合ったレフェリング(ネタ)を披露している。中でも菊タローとくいしんぼう仮面の試合では、「この試合は松井以外では捌けない」と称されるほどの3人にしか作り出せない試合(ネタ)を行っている。全日本プロレスに主に参戦していた頃は、和田京平や村山大値がネタに絡むことが多かった。厳格なイメージの和田だが、菊タローの試合ではネタに付き合い、菊タローのブログ上では彼のイベントに和田が遊びに来た、巡業先で一緒にパチスロを打った、などの報告があり、本人もコメントを書きこんだことから、プライベートでも気が合う様子が窺えた。
全日本プロレス参戦時には渕正信をライバルとして挙げていた。シングルでは勝利を挙げていないものの、コミカルな試合展開はかつての全日本の前半戦の定番「ファミリー軍団対悪役商会」を思わせるものだった。かつて苦楽を共にした仲間でもある荒谷望誉とは「バカ兄弟」を結成し、時には戦い、時にはタッグを組み、独自のゆるい試合を展開して会場を暖めるのに一役買っていた。2009年の荒谷の引退試合でもタッグを組み、渕・TAKAみちのく組と戦った。
分身キャラやコピーキャラの開発も続けており、ZERO1-MAXではP-Force Menの新メンバー「KTP-101.5kg」として、あるいは「菊藤(きくとう)さん」としての活動も見られるようになった。全日本のファン感謝デーで行われたプロレスラーと物まね芸人のタッグ試合「F-1タッグ選手権」では、コミッショナー「菊サン・ハンセン」(スタン・ハンセンのコピー)として登場した。近年ではジャンボ鶴田のコピーレスラー「ジャンボ菊」としてマッスルハウス6や「風になれ」など、DDTが関わった興行に素顔で登場した。覆面レスラーにとって素顔を晒すのは御法度であるのだが、菊タローの場合はネタのためにあっさりとマスクをめくって、素顔を見せるシーンが幾度となく見かけられている。
2006年10月21日に武藤敬司・中嶋勝彦と組み、メインでVOODOO-MURDERSと試合した際、VMにマスクを剥がされ、大流血に追い込まれる。普段のお笑いを織り交ぜた試合ではなく、シリアスな試合となった。試合には負けたものの、試合後リング上で武藤と抱き合い、観客の感動を呼んだ。リベンジマッチとなった武藤・土方隆司・菊vsVMでは本来のマスクの下に怒りのマスクを被り、最後はそれぞれ三人のシャイニング・ウィザードで勝利した。
2007年までは全日本プロレスを主戦場としていたが、2008年は全日本に5回しか呼ばれなかった、と翌年の全日本新春興行でこぼし、ネタにしていた。しかし、インディー時代から現在まで培われた多彩なレスラーの交流[1]があり、声をかけられたり売り込んだりなどで常にどこかの団体に顔を出している存在である。
2008年にはプロレスとアキバ系文化の融合を図った「アキバプロレス」を自らプロデュースし、同年8月に東京秋葉原UDXにて旗揚げ戦を行った。同年12月にディファ有明で開催した第2戦では「メタルギアソリッド4」「ストリートファイターIV」などのゲームとのコラボを実現させた。アキバプロレスは今後もコミックマーケット開催や大型連休の時期に合わせて開催する構想である。
多趣味人・菊タロー [編集]
非常に多趣味な人物である。リング上同様、プライベートでもまた人脈が広い。現在の愛車はユーコンデナリ。
TVゲーム
プロレス界の中でも屈指のゲーマーとして知られており、同じゲーマーレスラーのK-ness.も菊タローを尊敬する、と語っている。菊タローのコスチュームスポンサーである『ファミ通』とは縁が深く、編集部によく現れている。同紙上でコラムを執筆していたほか、特集記事への寄稿や、同誌連載漫画「いい電子」(みずしな孝之)への登場も多い[2]。また、ファミ通読者が同誌を宣伝するために様々な場所で着用する「ファミ部」Tシャツを着用して、プロレスリング・セムで試合を行ったこともある。「ファイプロ・リターンズ」(スパイク)や、「オールスター・プロレスリングIII」(えべっさん時代。スクウェア・エニックス)の広告キャラクターでもあった。『半熟英雄4』(スクウェア・エニックス)にも、えべっさんが出演していた。
パソコン
自作PCのパーツ探しのために秋葉原を散策する旨が、よくブログで報告されている。週刊アスキーにて自作PCの使用感をレポートする連載を持っていた。TAKAみちのくが愛用しているノートパソコンも元は彼のものであり、その後の技術サポートを行っていたこともあった。
アニメ
アニメに関しては視聴するのみではなく、声の仕事もしたいという希望を持っており、単発ではあるが声優としての仕事を行ったことがある。『天体戦士サンレッド』では、真摯に声優修業を行った甲斐もあり、初めて役名(ウェザーイエロー)付きの出演を果たした。萌え系アニメに関する話題は少なく、あくまで試合中でのことではあるが「萌えは嫌いじゃ!」と発言したことがある[3]。声優の池澤春菜や渡辺明乃とは親交があり、渡辺と誕生日が近いことから、合同で誕生会を開いてもらったことがあった。
お笑い
2001年の第1回M-1グランプリではスペル・デルフィンと「なんで家いるか・えびす」というコンビを結成して挑戦し、本職の芸人相手に3回戦まで進出するという快挙を成し遂げた。2003年のM-1グランプリでもタイガースマスクと「なんで家とら・えびす」というコンビを組み1回戦を突破した。
パチンコ・パチスロ
ブログ上では休日や遠征先でパチンコ・パチスロを楽しんだ旨の記事が多い。埼玉県さいたま市のとあるパチンコ店では、月1回のイベントとして1日店長を務めている。「菊タローが来ている云々より、その日に店が玉を出しているから」と謙遜しているが、非常に息の長い人気イベントとなっている模様である。
旅行
旅行が趣味で、オフにはNOSAWAや296らと、ときには一人で日本国外に繰り出し、行った先で試合をすることもある。独学ながら語学が堪能であり、試合交渉も自分で行っている。イギリス遠征時はマイクパフォーマンスを英語で行い、キッチリと笑いをとったほどだった。メキシコ遠征の回数も多いことから、スペイン語も習得している。
タイトル歴 [編集]
大阪名物世界一選手権(大阪プロレス)
大阪プロレスバトルロイヤル選手権
オープン・ザ・お笑いゲート王座(DRAGON GATE)
オープン・ザ・お笑いゲートタッグ王座(DRAGON GATE。パートナーはドン・フジイ)
アイアンマンヘビーメタル級王座(DDT。菊澤:第2代 菊タロー:第680代、682代、684代、690代)
バーブドワイヤーストリートファイト世界6人タッグ
得意技 [編集]
コミカルな技とともに、体格に似合わぬ飛び技も披露する。
七福神固め
菊落とし(えびす落とし)
ファイヤーマンズキャリーから、みちのくドライバーIIのように前方に落としていく。中邑真輔のランドスライド、ハリケーンドライバーと同じ技。
シャイニング・菊ザード
名前からして当然ながら武藤敬司のシャイニング・ウイザードと同じ技。その後はお決まりの武藤のプロレスラブムーブが入る。
シャイニングケンカキック
シャイニング・菊ザードと見せかけて顔面に蹴りを放つ。その後はお決まりの蝶野ムーブが入る。
開運トルネード
ムーンサルトプレス
たまにしか当たらず、ほとんどかわされる。
ハンドスプリングエルボー
スペースローリングエルボー
フェイスクラッシャー
ブルドッギング・ヘッドロック
相手をコーナーに振ってラリアットを放ってからヘッドロックの体勢に移行し、技をかけようとするがいつもすっぽ抜ける。
フラッシングエルボー
ブレーンバスター
長い口上を言ってから投げようとする。しかし必ず逆に投げられる。
女子レスラーへのセクハラ
抱きついてキスしようとしたりバックから胸を揉もうとする。6人マッチでは敵味方全員からストンピングで制止される。
恥ずかし固め
これも女子レスラーへのセクハラの一つ。仰向けの女子レスラーの足を取って股を広げて固める。固められた女子レスラーに一言言わせるのがお決まりのパターン。
レフェリーいじり
フォールをしたりしなかったりを繰り返す、金的攻撃を見舞うなど。大抵の場合はレフェリーに説教されたり蹴りを見舞われるオチが付いている。
入場テーマ曲 [編集]
忘却のノスタルジア / 佐藤裕美(Angelicaに収録)
レスラーのものまね [編集]
菊藤さん(旧・えべ藤さん)
最も使用されるものまね。武藤の技は普段から使用している。
菊サン・ハンセン(旧・えべサン・ハンセン)
F-1タッグ王座のコミッショナーとして、片言の日本語で認定証を読み上げる。試合では常に動き回っているハンセンの動きを再現。試合中は「Hurry-up!(カウント急げ!※ジョー樋口に対する口癖だった)」か「Ask him!(ギブアップか聞け)」ばかり言う。
菊ドーラ・ザ・ブッチャー(旧・えべドーラ・ブーチャン)
全身を茶色に塗り、額から流血しているデザインのマスクを着用。ブッチャーの使用凶器だったフォークと違いしゃもじを使用。攻撃を受けると甲高い悲鳴をあげながら額を押さえて悶える。
獣神サンダー・菊イガー(旧・獣神サンダーえべイガー)
ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア参戦時に見せたコスチューム。掌底を見せるも、本家の垂直落下ブレーンバスターを食らってしまった、その後「鈴木みのるデビュー20周年興行」に登場。
菊タス・ジャック
カクタス・ジャックのものまね。マットに倒れながらも彼の定番アピールである「バンバン!」をやっていた。
菊菊菊(トリプル菊)
トリプルHのものまね。
ジャンボ菊
ジャンボ鶴田のものまね。ただし、マスクは被っておらず、素顔で鼻に詰め物をしている。最近ではマッスルハウス6や鈴木みのる興行「風になれ」に登場した。
ダンプ菊
ダンプ松本のものまね。マスクは被らず素顔に極悪メイクで、髪は金に染めた
出演作 [編集]
えべっさん時代
映画『大阪プロレス飯店』 - 本人役。
テレビアニメ『超重神グラヴィオンZwei』声優 - 男A(第8話)。
ゲーム『半熟英雄4 7人の半熟英雄』 - 本人役。正月イベントにランダムで登場するほか、エッグモンスターとして参戦。
菊タロー
舞台『アラスタ2 悪魔城DORAKYURAサマ』
テレビアニメ『獣装機攻ダンクーガノヴァ』声優 - 本人役(第7話)。
TBSオールスター感謝祭第32回大会 - ローションボクシングに参加。
テレビアニメ『PRISM ARK』声優 - チンピラ(第8話)。
テレビアニメ『天体戦士サンレッド(第2期)』声優 - ウェザーイエロー(第1話、第9話、第25話)、ゼネ(第8話)、シシイ(第15話)、ナイトブラザー(第25話)、フルプ(第26話)、パチンコ店のアナウンス(第26話)。
菊タローはリングネームであり、また覆面レスラーの素顔ならびに本名は正式には公表されていないが、過去の経歴やリングネームが本名から1文字取ったことを明かしていること、さらに試合中にネタとしてマスクを脱いで見せる素顔などから、その正体は菊澤光信だと言われている。
目次 [非表示]
1 来歴
1.1 菊澤光信
1.2 えべっさん(初代)菊タロー
2 人物
2.1 レスラー・菊タロー
2.2 多趣味人・菊タロー
3 タイトル歴
4 得意技
5 入場テーマ曲
6 レスラーのものまね
7 出演作
8 関連項目
9 外部リンク
10 脚注
来歴 [編集]
ここでは菊タローの正体だと言われている菊澤光信の経歴も記載する。
菊澤光信 [編集]
正体とされる菊澤は栗栖正伸トレーニングジムから、W★INGプロモーションユニバーサル・プロレスリングの練習生を経て、1994年にFULLでプロレスデビュー。しばらくの間、FULL所属としてインディー団体に登場したが、FULLが活動を停止した後、フリーランスとして様々な団体での活動を行い、大仁田厚と組んでデスマッチを行っていたこともあった。一時期はDDT所属だったこともある。またNOSAWAと組んで東京愚連隊を結成、アメリカやメキシコの団体で活動していた。この頃には素顔だけでなく様々な覆面レスラーに変装してインディー団体に登場した。
えべっさん(初代)菊タロー [編集]
1999年7月24日、大阪プロレスにて、大阪・光明アムホールでザ・モンキーマジックを相手に「えべっさん」としてのデビューを果たした。当初はフリーのままでの参戦だったが、2004年に所属契約を交わした。くいしんぼう仮面との「大阪名物世界一選手権」を中心とした爆笑を呼ぶ抗争や、入場時のお賽銭パフォーマンス、さらに、武藤敬司のコピーである「えべ藤さん」、アブドーラ・ザ・ブッチャーのコピーの「えべドーラ・ブーチャン」など、有名レスラーの完璧なコピーで人気を博した。大阪プロレスの他、新日本プロレスや全日本プロレスにも参戦した。2005年4月24日の大阪・デルフィンアリーナでの試合を最後に大阪プロレスとの契約が切れて退団、フリーとして活動することとなった。
「えべっさん」のキャラクターが大阪プロレスの登録商標となっていることと、2005年4月29日から2代目えべっさんが大阪プロレスに登場したため、フリー転向後、最初の試合となった2005年5月7日東京・ディファ有明での「ディファカップ」以降は、えべ太郎のリングネームを使用し、マスク・コスチュームも若干変更したものの、えべ太郎のリングネームも大阪プロレス側からクレームが入ったため、2005年5月14日にアメリカ合衆国・ペンシルベニア州・フィラデルフィアのECWアリーナで開催されたベストオブベスト5を最後に使用を止め、暫定的なリングネーム太郎を経て、2005年5月20日の全日本プロレスの大会からは菊タローのリングネームを名乗るようになった。以降は日本国内・海外を問わず、様々な団体で明るく楽しいプロレスを披露し、活躍している。
フリー転向後、大阪プロレスに参戦することはなかったが、2008年以降には新旧のえべっさん同士のタッグを組むなどの参戦機会が増えている。2009年には「盟友であるくいしんぼう仮面のたっての願いで」という理由で久々にえべっさんとしての試合を行った。
2009年、大阪プロレスお笑い選手権、DRAGON GATEオープン・ザ・お笑いゲートタッグ王座(パートナーはドン・フジイ)、さらにDRAGON GATEオープン・ザ・お笑いゲート王座を奪取し、前代未聞のお笑い三冠を達成。名実ともに「日本一面白いレスラー」の称号を手にした。
人物 [編集]
レスラー・菊タロー [編集]
定番でありながらも確実に会場を沸かせるコミカルなムーブ、および軽妙なトークやパフォーマンスを惜しみなく披露し、特に前座から中盤にかけての名脇役として、その存在感が主役を食ってしまうことも度々あり、正統派レスラーからは強さと違った次元で難敵と見られることがある。お笑い中心ということを抜きにしてもヘビー、ジュニアヘビーを問わず対応できる試合スタイルであるが、全日本の世界ジュニアヘビー級選手権のタイトルは105kgという体重制限に引っかかるため、挑戦資格は無い(2007年6月10日「武藤祭」より)。
コミックレスラーの面が強いが実はかなり器用で、シャイニングウイザード(菊ザード)、菊落とし、トップコーナーからのミサイルキックやムーンサルトプレス等も使いこなせる。セメントマッチで獣神サンダー・ライガーとも激突、好勝負を繰り広げた。
そのスタイル上、受けが強く(やられっぷりが良く)、全日本にチーム3Dが参戦した際は、スポークスマンという体で毎試合のようにテーブルに叩きつけられる役を務めていた。これはインディー時代にデスマッチも行っていた豊富な経験の賜物といえよう。ただし、最近は腰の不調を自らのブログで訴えていることが多い、アメリカ遠征の際の合間にWWE観戦した時はデスマッチで被った額の傷を見せたらプロレスラーだということを認識してもらえバックステージを通してくれたとのこと。
菊タローの試合ではレフェリーを巻き込むこともあり、特に大阪プロレス時代からの長い付き合いであるDDTの松井幸則は、菊タローと抜群に息の合ったレフェリング(ネタ)を披露している。中でも菊タローとくいしんぼう仮面の試合では、「この試合は松井以外では捌けない」と称されるほどの3人にしか作り出せない試合(ネタ)を行っている。全日本プロレスに主に参戦していた頃は、和田京平や村山大値がネタに絡むことが多かった。厳格なイメージの和田だが、菊タローの試合ではネタに付き合い、菊タローのブログ上では彼のイベントに和田が遊びに来た、巡業先で一緒にパチスロを打った、などの報告があり、本人もコメントを書きこんだことから、プライベートでも気が合う様子が窺えた。
全日本プロレス参戦時には渕正信をライバルとして挙げていた。シングルでは勝利を挙げていないものの、コミカルな試合展開はかつての全日本の前半戦の定番「ファミリー軍団対悪役商会」を思わせるものだった。かつて苦楽を共にした仲間でもある荒谷望誉とは「バカ兄弟」を結成し、時には戦い、時にはタッグを組み、独自のゆるい試合を展開して会場を暖めるのに一役買っていた。2009年の荒谷の引退試合でもタッグを組み、渕・TAKAみちのく組と戦った。
分身キャラやコピーキャラの開発も続けており、ZERO1-MAXではP-Force Menの新メンバー「KTP-101.5kg」として、あるいは「菊藤(きくとう)さん」としての活動も見られるようになった。全日本のファン感謝デーで行われたプロレスラーと物まね芸人のタッグ試合「F-1タッグ選手権」では、コミッショナー「菊サン・ハンセン」(スタン・ハンセンのコピー)として登場した。近年ではジャンボ鶴田のコピーレスラー「ジャンボ菊」としてマッスルハウス6や「風になれ」など、DDTが関わった興行に素顔で登場した。覆面レスラーにとって素顔を晒すのは御法度であるのだが、菊タローの場合はネタのためにあっさりとマスクをめくって、素顔を見せるシーンが幾度となく見かけられている。
2006年10月21日に武藤敬司・中嶋勝彦と組み、メインでVOODOO-MURDERSと試合した際、VMにマスクを剥がされ、大流血に追い込まれる。普段のお笑いを織り交ぜた試合ではなく、シリアスな試合となった。試合には負けたものの、試合後リング上で武藤と抱き合い、観客の感動を呼んだ。リベンジマッチとなった武藤・土方隆司・菊vsVMでは本来のマスクの下に怒りのマスクを被り、最後はそれぞれ三人のシャイニング・ウィザードで勝利した。
2007年までは全日本プロレスを主戦場としていたが、2008年は全日本に5回しか呼ばれなかった、と翌年の全日本新春興行でこぼし、ネタにしていた。しかし、インディー時代から現在まで培われた多彩なレスラーの交流[1]があり、声をかけられたり売り込んだりなどで常にどこかの団体に顔を出している存在である。
2008年にはプロレスとアキバ系文化の融合を図った「アキバプロレス」を自らプロデュースし、同年8月に東京秋葉原UDXにて旗揚げ戦を行った。同年12月にディファ有明で開催した第2戦では「メタルギアソリッド4」「ストリートファイターIV」などのゲームとのコラボを実現させた。アキバプロレスは今後もコミックマーケット開催や大型連休の時期に合わせて開催する構想である。
多趣味人・菊タロー [編集]
非常に多趣味な人物である。リング上同様、プライベートでもまた人脈が広い。現在の愛車はユーコンデナリ。
TVゲーム
プロレス界の中でも屈指のゲーマーとして知られており、同じゲーマーレスラーのK-ness.も菊タローを尊敬する、と語っている。菊タローのコスチュームスポンサーである『ファミ通』とは縁が深く、編集部によく現れている。同紙上でコラムを執筆していたほか、特集記事への寄稿や、同誌連載漫画「いい電子」(みずしな孝之)への登場も多い[2]。また、ファミ通読者が同誌を宣伝するために様々な場所で着用する「ファミ部」Tシャツを着用して、プロレスリング・セムで試合を行ったこともある。「ファイプロ・リターンズ」(スパイク)や、「オールスター・プロレスリングIII」(えべっさん時代。スクウェア・エニックス)の広告キャラクターでもあった。『半熟英雄4』(スクウェア・エニックス)にも、えべっさんが出演していた。
パソコン
自作PCのパーツ探しのために秋葉原を散策する旨が、よくブログで報告されている。週刊アスキーにて自作PCの使用感をレポートする連載を持っていた。TAKAみちのくが愛用しているノートパソコンも元は彼のものであり、その後の技術サポートを行っていたこともあった。
アニメ
アニメに関しては視聴するのみではなく、声の仕事もしたいという希望を持っており、単発ではあるが声優としての仕事を行ったことがある。『天体戦士サンレッド』では、真摯に声優修業を行った甲斐もあり、初めて役名(ウェザーイエロー)付きの出演を果たした。萌え系アニメに関する話題は少なく、あくまで試合中でのことではあるが「萌えは嫌いじゃ!」と発言したことがある[3]。声優の池澤春菜や渡辺明乃とは親交があり、渡辺と誕生日が近いことから、合同で誕生会を開いてもらったことがあった。
お笑い
2001年の第1回M-1グランプリではスペル・デルフィンと「なんで家いるか・えびす」というコンビを結成して挑戦し、本職の芸人相手に3回戦まで進出するという快挙を成し遂げた。2003年のM-1グランプリでもタイガースマスクと「なんで家とら・えびす」というコンビを組み1回戦を突破した。
パチンコ・パチスロ
ブログ上では休日や遠征先でパチンコ・パチスロを楽しんだ旨の記事が多い。埼玉県さいたま市のとあるパチンコ店では、月1回のイベントとして1日店長を務めている。「菊タローが来ている云々より、その日に店が玉を出しているから」と謙遜しているが、非常に息の長い人気イベントとなっている模様である。
旅行
旅行が趣味で、オフにはNOSAWAや296らと、ときには一人で日本国外に繰り出し、行った先で試合をすることもある。独学ながら語学が堪能であり、試合交渉も自分で行っている。イギリス遠征時はマイクパフォーマンスを英語で行い、キッチリと笑いをとったほどだった。メキシコ遠征の回数も多いことから、スペイン語も習得している。
タイトル歴 [編集]
大阪名物世界一選手権(大阪プロレス)
大阪プロレスバトルロイヤル選手権
オープン・ザ・お笑いゲート王座(DRAGON GATE)
オープン・ザ・お笑いゲートタッグ王座(DRAGON GATE。パートナーはドン・フジイ)
アイアンマンヘビーメタル級王座(DDT。菊澤:第2代 菊タロー:第680代、682代、684代、690代)
バーブドワイヤーストリートファイト世界6人タッグ
得意技 [編集]
コミカルな技とともに、体格に似合わぬ飛び技も披露する。
七福神固め
菊落とし(えびす落とし)
ファイヤーマンズキャリーから、みちのくドライバーIIのように前方に落としていく。中邑真輔のランドスライド、ハリケーンドライバーと同じ技。
シャイニング・菊ザード
名前からして当然ながら武藤敬司のシャイニング・ウイザードと同じ技。その後はお決まりの武藤のプロレスラブムーブが入る。
シャイニングケンカキック
シャイニング・菊ザードと見せかけて顔面に蹴りを放つ。その後はお決まりの蝶野ムーブが入る。
開運トルネード
ムーンサルトプレス
たまにしか当たらず、ほとんどかわされる。
ハンドスプリングエルボー
スペースローリングエルボー
フェイスクラッシャー
ブルドッギング・ヘッドロック
相手をコーナーに振ってラリアットを放ってからヘッドロックの体勢に移行し、技をかけようとするがいつもすっぽ抜ける。
フラッシングエルボー
ブレーンバスター
長い口上を言ってから投げようとする。しかし必ず逆に投げられる。
女子レスラーへのセクハラ
抱きついてキスしようとしたりバックから胸を揉もうとする。6人マッチでは敵味方全員からストンピングで制止される。
恥ずかし固め
これも女子レスラーへのセクハラの一つ。仰向けの女子レスラーの足を取って股を広げて固める。固められた女子レスラーに一言言わせるのがお決まりのパターン。
レフェリーいじり
フォールをしたりしなかったりを繰り返す、金的攻撃を見舞うなど。大抵の場合はレフェリーに説教されたり蹴りを見舞われるオチが付いている。
入場テーマ曲 [編集]
忘却のノスタルジア / 佐藤裕美(Angelicaに収録)
レスラーのものまね [編集]
菊藤さん(旧・えべ藤さん)
最も使用されるものまね。武藤の技は普段から使用している。
菊サン・ハンセン(旧・えべサン・ハンセン)
F-1タッグ王座のコミッショナーとして、片言の日本語で認定証を読み上げる。試合では常に動き回っているハンセンの動きを再現。試合中は「Hurry-up!(カウント急げ!※ジョー樋口に対する口癖だった)」か「Ask him!(ギブアップか聞け)」ばかり言う。
菊ドーラ・ザ・ブッチャー(旧・えべドーラ・ブーチャン)
全身を茶色に塗り、額から流血しているデザインのマスクを着用。ブッチャーの使用凶器だったフォークと違いしゃもじを使用。攻撃を受けると甲高い悲鳴をあげながら額を押さえて悶える。
獣神サンダー・菊イガー(旧・獣神サンダーえべイガー)
ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア参戦時に見せたコスチューム。掌底を見せるも、本家の垂直落下ブレーンバスターを食らってしまった、その後「鈴木みのるデビュー20周年興行」に登場。
菊タス・ジャック
カクタス・ジャックのものまね。マットに倒れながらも彼の定番アピールである「バンバン!」をやっていた。
菊菊菊(トリプル菊)
トリプルHのものまね。
ジャンボ菊
ジャンボ鶴田のものまね。ただし、マスクは被っておらず、素顔で鼻に詰め物をしている。最近ではマッスルハウス6や鈴木みのる興行「風になれ」に登場した。
ダンプ菊
ダンプ松本のものまね。マスクは被らず素顔に極悪メイクで、髪は金に染めた
出演作 [編集]
えべっさん時代
映画『大阪プロレス飯店』 - 本人役。
テレビアニメ『超重神グラヴィオンZwei』声優 - 男A(第8話)。
ゲーム『半熟英雄4 7人の半熟英雄』 - 本人役。正月イベントにランダムで登場するほか、エッグモンスターとして参戦。
菊タロー
舞台『アラスタ2 悪魔城DORAKYURAサマ』
テレビアニメ『獣装機攻ダンクーガノヴァ』声優 - 本人役(第7話)。
TBSオールスター感謝祭第32回大会 - ローションボクシングに参加。
テレビアニメ『PRISM ARK』声優 - チンピラ(第8話)。
テレビアニメ『天体戦士サンレッド(第2期)』声優 - ウェザーイエロー(第1話、第9話、第25話)、ゼネ(第8話)、シシイ(第15話)、ナイトブラザー(第25話)、フルプ(第26話)、パチンコ店のアナウンス(第26話)。
2010年12月31日
菊田早苗
菊田 早苗(きくた さなえ、男性、1971年9月10日 - )は、日本の総合格闘家。東京都練馬区出身。GRABAKA主宰。
父親は、死刑廃止論者で明治大学名誉教授・弁護士の菊田幸一。
菊田の寝技は「キク術」とも呼ばれている。
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1 来歴
2 人物
3 戦績
4 獲得タイトル
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
来歴 [編集]
小学校6年の時に、佐山聡のスーパータイガージムに入門。
学生時代には柔道を経験し、練馬東中学校在学中に中学柔道関東大会で優勝、明大中野高校在学中に高校柔道総体86kg級で優勝を果たした。
日本体育大学柔道部では古賀稔彦の指導を受けるが、体育教師(スクールカラーが体育教員養成系)志望でなかったため中退。その後、UWFインターナショナルに入門するも、1週間も経たずに退団した。その後渡豪し、スタン・ザ・マンも通っていたジムでキックボクシングを習う。
帰国後、アマチュアシュートボクシング全国大会重量級を制し、総合格闘技大会トーナメント・オブ・Jも連覇。
修斗、リングス、PRIDE参戦を経て、1999年6月、パンクラスに参戦。2000年にはパンクラスの中で外部勢力を集めた新勢力「GRABAKA(グラバカ)」を立ち上げた。
2001年4月、アブダビコンバット・88kg未満級に出場し、日本人初の優勝を果たした。同年9月には美濃輪育久とのライトヘビー級王者決定戦を制し、第2代ライトヘビー級キング・オブ・パンクラシストとなった。
2001年8月18日、DEEP2001 in YOKOHAMAでシェマック・ウォレスと対戦し、マウントパンチによるTKO勝ちを収めた。試合後のリング上で9月30日のパンクラス興行での美濃輪育久とのライトヘビー級タイトルマッチをアピールした[1]。
2001年9月30日、ライトヘビー級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチで美濃輪育久と対戦し、ドクターストップによるTKO勝ちを収めた[2]。
2002年8月8日、UFO LEGENDでアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦し、右ストレートでKO負け。
同年12月、GRABAKAジムを東京都中野区にオープンした。
2003年11月30日、タイトルマッチで近藤有己と対戦し、ブルート(左フック)によるKO負けで王座から陥落した。
2005年8月、練習中に右足内腿靭帯を部分断裂し、10月2日に予定されていた近藤との3度目のタイトルマッチは中止となった。
2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005で瀧本誠と対戦、判定勝利を収めるが、試合後にDSEの榊原社長から、試合内容について苦言を呈された。
2007年12月31日、やれんのか! 大晦日! 2007において、同じGRABAKAに所属する三崎vs秋山戦にセコンドとして付き、その後の再戦騒動に巻き込まれた。菊田のブログでは、初めから複数戦の契約は無かったと主張している。
2008年3月5日、『戦極』旗揚げ戦戦極 第一陣でフィル・バローニと対戦予定であったが、バローニが右肩負傷で欠場となり、菊田も欠場となった。
2008年6月8日、戦極 第三陣で約1年半振りに試合を行い、クリス・ライスと対戦。腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。
2009年1月4日、戦極の乱2009で吉田秀彦と対戦し、2-1の判定勝ちを収めた。
2010年6月20日、SRC13でYasubei榎本と対戦し、右アッパーでダウンしたところにパウンドで追撃されTKO負け[3]。
2010年10月24日、9年2か月ぶりのDEEP参戦となったDEEP 50 IMPACTでキム・イサクと対戦し、タオル投入によるTKO勝ちを収めた[4]。
人物 [編集]
特技はピアノ演奏。
一時期、雑誌「紙のプロレス」インタビューで、「天山広吉・小島聡はロクな死に方をしない、人間的にバカにした商売、騙して連れてきて金を取る」などプロレスラーやプロレスを貶める発言を繰り返し、高田道場やプロレスファンの怒りを買った。これには短期間だが、UWFインターナショナルや新日本プロレスに入門(一部関係者のコメントでは「体験入門程度のもの」)した際、人間関係で何かしらのトラブルが背景にあったということが定説となっている。後に、PRIDE.20で前述の経緯などから菊田に嫌悪感を持つアレクサンダー大塚との試合に勝利した後のリング上で「かつて批判したことはあるが、プロレスも格闘技も素晴らしいものだと思っている」と観客に訴えた。これは後に天山・小島を指したものではなく、プロレスラー全員を指して「ロクな死に方をしない」と言ったことが判明。あまりの問題発言に編集部で作為したのだと後のkamiproに真相が掲載された。
父親は、死刑廃止論者で明治大学名誉教授・弁護士の菊田幸一。
菊田の寝技は「キク術」とも呼ばれている。
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1 来歴
2 人物
3 戦績
4 獲得タイトル
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
来歴 [編集]
小学校6年の時に、佐山聡のスーパータイガージムに入門。
学生時代には柔道を経験し、練馬東中学校在学中に中学柔道関東大会で優勝、明大中野高校在学中に高校柔道総体86kg級で優勝を果たした。
日本体育大学柔道部では古賀稔彦の指導を受けるが、体育教師(スクールカラーが体育教員養成系)志望でなかったため中退。その後、UWFインターナショナルに入門するも、1週間も経たずに退団した。その後渡豪し、スタン・ザ・マンも通っていたジムでキックボクシングを習う。
帰国後、アマチュアシュートボクシング全国大会重量級を制し、総合格闘技大会トーナメント・オブ・Jも連覇。
修斗、リングス、PRIDE参戦を経て、1999年6月、パンクラスに参戦。2000年にはパンクラスの中で外部勢力を集めた新勢力「GRABAKA(グラバカ)」を立ち上げた。
2001年4月、アブダビコンバット・88kg未満級に出場し、日本人初の優勝を果たした。同年9月には美濃輪育久とのライトヘビー級王者決定戦を制し、第2代ライトヘビー級キング・オブ・パンクラシストとなった。
2001年8月18日、DEEP2001 in YOKOHAMAでシェマック・ウォレスと対戦し、マウントパンチによるTKO勝ちを収めた。試合後のリング上で9月30日のパンクラス興行での美濃輪育久とのライトヘビー級タイトルマッチをアピールした[1]。
2001年9月30日、ライトヘビー級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチで美濃輪育久と対戦し、ドクターストップによるTKO勝ちを収めた[2]。
2002年8月8日、UFO LEGENDでアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦し、右ストレートでKO負け。
同年12月、GRABAKAジムを東京都中野区にオープンした。
2003年11月30日、タイトルマッチで近藤有己と対戦し、ブルート(左フック)によるKO負けで王座から陥落した。
2005年8月、練習中に右足内腿靭帯を部分断裂し、10月2日に予定されていた近藤との3度目のタイトルマッチは中止となった。
2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005で瀧本誠と対戦、判定勝利を収めるが、試合後にDSEの榊原社長から、試合内容について苦言を呈された。
2007年12月31日、やれんのか! 大晦日! 2007において、同じGRABAKAに所属する三崎vs秋山戦にセコンドとして付き、その後の再戦騒動に巻き込まれた。菊田のブログでは、初めから複数戦の契約は無かったと主張している。
2008年3月5日、『戦極』旗揚げ戦戦極 第一陣でフィル・バローニと対戦予定であったが、バローニが右肩負傷で欠場となり、菊田も欠場となった。
2008年6月8日、戦極 第三陣で約1年半振りに試合を行い、クリス・ライスと対戦。腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。
2009年1月4日、戦極の乱2009で吉田秀彦と対戦し、2-1の判定勝ちを収めた。
2010年6月20日、SRC13でYasubei榎本と対戦し、右アッパーでダウンしたところにパウンドで追撃されTKO負け[3]。
2010年10月24日、9年2か月ぶりのDEEP参戦となったDEEP 50 IMPACTでキム・イサクと対戦し、タオル投入によるTKO勝ちを収めた[4]。
人物 [編集]
特技はピアノ演奏。
一時期、雑誌「紙のプロレス」インタビューで、「天山広吉・小島聡はロクな死に方をしない、人間的にバカにした商売、騙して連れてきて金を取る」などプロレスラーやプロレスを貶める発言を繰り返し、高田道場やプロレスファンの怒りを買った。これには短期間だが、UWFインターナショナルや新日本プロレスに入門(一部関係者のコメントでは「体験入門程度のもの」)した際、人間関係で何かしらのトラブルが背景にあったということが定説となっている。後に、PRIDE.20で前述の経緯などから菊田に嫌悪感を持つアレクサンダー大塚との試合に勝利した後のリング上で「かつて批判したことはあるが、プロレスも格闘技も素晴らしいものだと思っている」と観客に訴えた。これは後に天山・小島を指したものではなく、プロレスラー全員を指して「ロクな死に方をしない」と言ったことが判明。あまりの問題発言に編集部で作為したのだと後のkamiproに真相が掲載された。