2010年12月28日
マイク・ポルクロペック
マイク・ポルクロペック(Mike Polchlopek、1965年12月27日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー、総合格闘家。テキサス州オースティン出身。バート・ガン(Bart Gunn)、マイク・バートン(Mike Barton)などのリングネームで知られる。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 戦績
4.1 総合格闘技
5 関連項目
6 外部リンク
来歴 [編集]
1991年にブレット・コルト(Brett Colt)のリングネームでデビュー。フロリダ州のインディー団体IWFで師匠のブラックジャック・マリガン同様のカウボーイ・ギミックで売り出され、キップ・ウィンチェスターことモンティ・ソップとのタッグチーム、ロング・ライダーズで人気を獲得した。
1993年にソップと共にWWF(現・WWE)と契約。WWF入りに伴いリングネームおよびチーム名を変更し、ソップはビリー・ガン、自身はバート・ガンと名乗る。兄弟ギミックも与えられ、スモーキン・ガンズとしてタッグ戦線で活動した。
1996年にスモーキン・ガンズを解散。ボブ・ホーリーとのニュー・ミッドナイト・エクスプレスを経て1998年にはWWF主催の格闘技トーナメント"WWF Brawl for All" で優勝するなど活躍したが、1999年1月に解雇された。
前述のトーナメントでスティーブ・ウィリアムスを「ゴールデンレフト」で破った実績を評価され、解雇前の1998年11月から全日本プロレスに登場し、ジョニー・エースとのコンビで世界タッグ王座を獲得した。その後は主にジム・スティールとタッグを組み、IWGPタッグ王座に挑戦するなどの活躍を見せる。2002年にはチャンピオン・カーニバルで天龍源一郎を倒すものの武藤敬司に敗れ惜しくも準優勝。
全日本プロレスを退団したあとは新日本プロレスへ移籍した。またTNAにも2003年まで所属していた。その後、パートナーであったスティールの怪我などもあり、しばらく表舞台から離れ総合格闘技向けの練習を重ね、2006年の無我ワールド・プロレスリングへの参戦で久々の登場を果たした。
2006年6月17日、Rumble on the Rock Beatdownのメインイベントでウェズリー・コレイラと対戦し、TKO勝ち。同年11月5日にはPRIDEに出場。「PRIDE 武士道 -其の十三-」で美濃輪育久と対戦し、判定負けを喫した。
得意技 [編集]
ゴールデンレフト(左ボディブロー)
ヘル・ベント(変形デスバレーボム)
バートバッシュ(レイザーズ・エッジ)
バートン・カッター(ダイヤモンド・カッター)
バートン・レース(スピアー)
バートン・スパイク(インプラントDDT)
バートン・ディザスター(倒れ込み式高角度パワーボム)
※バートン・ディザスターはかつて、ラストライドやバートンバスターという名称で使用していた
獲得タイトル [編集]
全日本プロレス
世界タッグ王座 : 1回(w / ジョニー・エース)
チャンピオン・カーニバル準優勝 : 1回(2002年大会)
WWF
WWF世界タッグ王座 : 3回(w / ビリー・ガン)
NWA世界タッグ王座 : 1回(w / ボンバスティック・ボブ) ※ブッカー兼マネージャーのジム・コルネットがWWFで復活させたタイトル
Brawl for All 優勝
インディー
IWFタッグ王座 : 2回(w / キップ・ウィンチェスター)
PCWアメリカス・ヘビー級王座 : 2回
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 戦績
4.1 総合格闘技
5 関連項目
6 外部リンク
来歴 [編集]
1991年にブレット・コルト(Brett Colt)のリングネームでデビュー。フロリダ州のインディー団体IWFで師匠のブラックジャック・マリガン同様のカウボーイ・ギミックで売り出され、キップ・ウィンチェスターことモンティ・ソップとのタッグチーム、ロング・ライダーズで人気を獲得した。
1993年にソップと共にWWF(現・WWE)と契約。WWF入りに伴いリングネームおよびチーム名を変更し、ソップはビリー・ガン、自身はバート・ガンと名乗る。兄弟ギミックも与えられ、スモーキン・ガンズとしてタッグ戦線で活動した。
1996年にスモーキン・ガンズを解散。ボブ・ホーリーとのニュー・ミッドナイト・エクスプレスを経て1998年にはWWF主催の格闘技トーナメント"WWF Brawl for All" で優勝するなど活躍したが、1999年1月に解雇された。
前述のトーナメントでスティーブ・ウィリアムスを「ゴールデンレフト」で破った実績を評価され、解雇前の1998年11月から全日本プロレスに登場し、ジョニー・エースとのコンビで世界タッグ王座を獲得した。その後は主にジム・スティールとタッグを組み、IWGPタッグ王座に挑戦するなどの活躍を見せる。2002年にはチャンピオン・カーニバルで天龍源一郎を倒すものの武藤敬司に敗れ惜しくも準優勝。
全日本プロレスを退団したあとは新日本プロレスへ移籍した。またTNAにも2003年まで所属していた。その後、パートナーであったスティールの怪我などもあり、しばらく表舞台から離れ総合格闘技向けの練習を重ね、2006年の無我ワールド・プロレスリングへの参戦で久々の登場を果たした。
2006年6月17日、Rumble on the Rock Beatdownのメインイベントでウェズリー・コレイラと対戦し、TKO勝ち。同年11月5日にはPRIDEに出場。「PRIDE 武士道 -其の十三-」で美濃輪育久と対戦し、判定負けを喫した。
得意技 [編集]
ゴールデンレフト(左ボディブロー)
ヘル・ベント(変形デスバレーボム)
バートバッシュ(レイザーズ・エッジ)
バートン・カッター(ダイヤモンド・カッター)
バートン・レース(スピアー)
バートン・スパイク(インプラントDDT)
バートン・ディザスター(倒れ込み式高角度パワーボム)
※バートン・ディザスターはかつて、ラストライドやバートンバスターという名称で使用していた
獲得タイトル [編集]
全日本プロレス
世界タッグ王座 : 1回(w / ジョニー・エース)
チャンピオン・カーニバル準優勝 : 1回(2002年大会)
WWF
WWF世界タッグ王座 : 3回(w / ビリー・ガン)
NWA世界タッグ王座 : 1回(w / ボンバスティック・ボブ) ※ブッカー兼マネージャーのジム・コルネットがWWFで復活させたタイトル
Brawl for All 優勝
インディー
IWFタッグ王座 : 2回(w / キップ・ウィンチェスター)
PCWアメリカス・ヘビー級王座 : 2回
投稿者 格闘技の王子様 16:10 | コメント(0)| トラックバック(0)
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